若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』集英社(二〇〇三年)
K・ポメランツ、S・トピック『グローバル経済の誕生』筑摩書房(二〇一三年)
中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』岩波新書(一九九九年)
高校時代、世界史はつまらなく感じる教科の最たるものだった。ヨーロッパの、それも現在とは国境がことなるためにどこに当たるのかも分かりづらい国の各国史が併走し、中国にしても何度も王朝が転換する。各国・王朝の無数の固有名をひたすらに覚えるのは、暗記勉強そのものだった。
しかしこれら三冊を読むと、そうした古い世界史のイメージは吹き飛ぶだろう。一国経済は貿易によって世界と結びつく。貿易はモノのやりとりだが、モノは文化や思想・宗教、大きく言えば世界観まで運び込む。だから「世界史」は独立した各国史の並列ではありえない。国内的な歴史の物語がもつれ合い押し合って、全体として別の次元の物語を生み出すのである。
なかでも滅法面白いのが、『クアトロ・ラガッツィ』(「四少年」の意)。若桑は天正少年使節団を、日本史と西欧史、キリスト教と仏教の衝突において描いた。日本古来の仏教的世界観を根こそぎ解体するためにキリスト教を保護、最終的には自身が「神」になろうとした革命家・織田信長の後押しを受け、四人は大海原を越え二年をかけてリスボンに着き、「沈まぬ太陽」と称えられたスペイン国王フェリペ二世に謁見、次いでフィレンツェの大公メディチ、カトリック世界の帝王グレゴリウス十三世に面接する。
そして八年後、知識や文物、印刷機をたずさえて帰朝すると、そこには信長はおらず、当初は興味深そうに迎えた秀吉は、じきに最強の側近・高山右近を含む伴天連の迫害に転じた。青年となった四人も、棄教・国外追放・拷問死など過酷な後半生を歩むことになる。
「(二十一)世紀は、十六世紀にはじまる、世界を支配する欧米の強大な力と、これと拮抗する異なった宗教と文化の抗争が最終局面を迎える世紀になるだろう」と述べ、著者は四少年を現在の日本人に重ね合わせている。
暴力とドラッグの貿易史
その欧米はというと、米歴史学会長であるポメランツらが七つの章、八十五の小項目で綴るエピソードからすれば、自由貿易の歴史を暴力とドラッグに染め上げてきたと言うしかない。
たとえば紅茶。イギリスは茶に魅せられたが、輸入したくても中国が交換に応じる物産を持たなかった。仕方なく銀貨で支払ったがそれも元をただせばスペインが虐殺を経て支配したアンデスの銀山で、奴隷に採掘させたもの。それを海賊が強奪し、イギリスのものとなっていた。こうして地球上の銀は、約半分が中国に流れ込む。
しかしいつまでも海賊頼みではやっていられない。そこでイギリスが中国に持ちこんだ物産が、植民地のインドで栽培したアヘンだった。三度の戦争を経て自由貿易に渋々承諾すると、中国はあっという間にアヘン漬けにされる。
さてモノの交易には音楽もついてくる。ポピュラー音楽といえば大資本による商業音楽という先入観があるが、中村とうようはジャズとロックにも核心に黒人コミュニティの生活意識を垣間見る。さらにそうした音楽の背景として大航海時代の奴隷と紅茶の貿易が西欧とアジア、アメリカに文化接触の衝撃を与えたことがあり、その融合からカリブ海(キューバ周辺)と東南アジア(インドネシア)に世界性を有するポピュラー音楽が誕生したという壮大な構図を描く。
このように近年の世界史はやたらと面白いが、それは各国史の並列から交流・融合へという世界史の見方についての転換がある。かつて大塚久雄の西洋経済史は一国の中、それも田舎で産業が勃興するとしていたが、ウォーラーステインの世界システム論は逆に、資本主義は外国との交流や衝突により始まったとした。この転換のおかげで世界史は、間違いなく面白くなったのだ。