いまから30年前のきょう、1987(昭和62)年6月27日午前1時30分からテレビ朝日系で放送された討論番組『朝まで生テレビ!』の第3回「大討論・いま女の時代か!?」で、ジャーナリストの田原総一朗が初めて司会を務めた。

 田原は、『朝生』に企画段階から参加、同年4月放送の第1回よりパネリストとして出演していた。なお、第1回では深夜番組『トゥナイト』の司会者だった作家の利根川裕、5月放送の第2回では当時朝日新聞社に在籍していた筑紫哲也が司会を担当した。田原は同番組で司会を始めてからもしばらくはパネリストを兼任していたが、やがて司会に専念する形で落ち着く。うるさ型の出演者たちをまとめる司会術は「猛獣使い」とも称された。

『朝生』は番組開始当初より、原発、天皇制、同和問題、右翼などテレビではタブーとされてきた問題にも果敢に挑んできた。筆者にはとくに1991年9月に放送された「激論! 宗教と若者」の記憶が強い。当時注目されていた新宗教の代表のひとつとして、オウム真理教から代表の麻原彰晃(本名・松本智津夫)をはじめ上祐史浩や村井秀夫など幹部たちが出演したいわくつきの回だ。

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 最近田原の上梓した『暴走司会者――論客たちとの深夜の「激闘譜」』(中央公論新社)によれば、同回の放送中にはこんな議論もあったという。発端は、幸福の科学の信者として出演した作家の景山民夫が、「自分たちは道端に落ちているゴミを拾ったり、散歩中に犬がウンチをしたらちゃんと持ち帰ったりするといった、当たり前のことから考えていこうとしている」という主旨の発言をしたことだった。景山は、そうした行為のずっと彼方に神がいるのだと考えていた。これに対し、哲学者の池田晶子が「そんな行為に神が介在する必要があるのだろうか。自分が拾いたいから拾ったと言ってはいけないのか」と疑問を投げかけ、議論となる。

 田原は、この議論を、宗教を信じている人と信じていない人の違いを考えるとき重要なポイントだと思ったという。しかし、討論を重ねても、両者の隔たりの大きさが感じられるだけで、溝は埋まらなかった。

 それでも、こうした根源的ともいえる議論が、地上波テレビという多くの人が目にするメディアで展開されたこと自体、意味のあることではなかったのだろうか。このように一見地味ながらも、物事の本質を突く議論を今後の『朝生』でももっと観たいものだ。

「朝まで生テレビ!」の放送30周年を控え、取材に答える田原総一朗 ©共同通信社