いまから30年前のきょう、1987(昭和62)年7月16日、ボードビリアンのトニー谷が死去した。69歳。終戦直後の占領下にあって、フォックス眼鏡にコールマンひげ、派手なタキシードというスタイルで、英語と日本語を取り混ぜた独特の「トニングリッシュ(トニー・イングリッシュ)」で売り出した。それは当時、占領軍の通訳などとして働いていた日系アメリカ人2世のパロディであったという(笹山敬輔『昭和芸人 七人の最期』文春文庫)。

 1953年、開局まもないラジオ東京(現・TBSラジオ)の番組で「レディース・エンド・ジェントルメン・エンド・おとっつぁん・おっかさん」と呼びかけて人気が爆発し、その後も「サイザンス」「家庭の事情」など多くの流行語を生んだ。赤塚不二夫のマンガ『おそ松くん』のイヤミのモデルとしても知られる。

 しかし毒気の強い芸風から嫌う人も少なくなかった。1955年にはトニーの人気をねたんだ男が彼の長男を誘拐する事件が起きる。子供は無事保護されたものの、これを機に芸風の転換を余儀なくされる。それでも1962年に始まった日本テレビの『アベック歌合戦』でそろばん片手に「あなたのお名前なんてえの」と司会をするさまがウケ、復活をはたす。1970年以降はハワイに移住、1年のうち5ヵ月は帰国してクラブやキャバレーをまわるという生活を送っていた。

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誘拐された長男が家族の元に戻り、トニー谷の自宅で記者会見が行われた ©共同通信社

 最後の1年は、タレントの永六輔のプロデュースにより、各地の小さな舞台をまわった。亡くなる4ヵ月前、永はトニーからそろばんや付けひげ、眼鏡といった商売道具や資料を渡され、「おや?」と思ったという(『中日新聞』1987年7月17日付)。じつは前年、トニーは肝臓がんのため入院していた。結局、その年の12月26日、病院を抜け出して出演した東京・渋谷の小劇場「ジァンジァン」でのショーが、彼の最後のステージとなる。