「哲学」というと、一般的には“立ち止まって考える”イメージが強いだろう。しかし実際には、哲学者はかなりアクティブに「動き回っている」ようだ。「哲学の時代」シリーズ4回目は「勉強の哲学」の千葉雅也さんインタビュー。後編では“ファミコンと仮想通貨”という意外なお話も出てきた。

※「幼少期からの“コレクション欲”が僕を“DIY哲学者”にした――哲学者・千葉雅也インタビュー #1 」より続く

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社長になるか、アーティストになるか

©石川啓次/文藝春秋

――研究者になりたいという気持ちが芽生えたのは、自然な流れだったのでしょうか。

千葉 まぁ、そうですね。うちの親父は広告代理店をやっている自営業者だったので、そもそもサラリーマンになるという人生のビジョンがほとんどなかった。アーティストになるか社長になるかしかないと思っていました。で、アーティストからの置き換えとして研究者になった、そんな感じでしょうか。

――『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(文藝春秋)はお父さまに捧げられていますが、やはりその影響は大きかったのでしょうか。

千葉 父は、すごくよいバランスで僕を甘やかしてくれていたと思います。例えば、欲しいものがあっても、すぐに買ってくれることはまずない。でも、クリエイティビティに繋がるものであれば、しかるべきタイミングに買い与えてくれました。たとえそれが「ちょっとこれは……」というくらい高価でオーバーなものであっても。

――パソコンを手にされたのも1991年と、当時としてはかなり早い方でしたよね。

千葉 そうですね。僕は中学に入る時にMacintoshを買ってもらいましたが、今のパソコンの価格からは想像もつかないくらい高価だった。父は、例えばレゴブロックの、組み立てると大きなお城ができちゃう豪華セットみたいなものは買ってくれませんでした。なぜなら、すでにお膳立てされたものを作ったとしても、何の意味もないからです。でも、それが何かを創造するために必要な、ハイレベルなツールであれば買ってくれました。

――その判断をお父さまがしていた、と。

千葉 そうですね。母は倹約的な人だったので、そんな高いコンピューターを買うなんて! という感じでしたけど、父は父で単に甘やかしていたわけではなくて、必要なものだから買ってくれていたのだと思います。そういう抑制があったことに、僕は感謝しています。