哲学――その難解なイメージとは裏腹に、多くの人が哲学に興味を抱く「哲学ブーム」が過去から現在まで繰り返されてきた。今また、哲学が必要とされている時代になっているのではないか、その背景には何があるのか――。哲学者インタビューシリーズ第1回にお話を聞くのは、『スピノザの方法』で鮮烈なデビューをし、『暇と退屈の倫理学』では人文書として異例の話題を呼んだ気鋭の哲学者・國分功一郎さん。最新刊『中動態の世界 意志と責任の考古学』で“失われた文法・中動態”から新しい哲学を論じた國分さんは、いかにして哲学を志したのか、いま何を哲学しようとしているのか?

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“哲学”ひとつに“安住しない”研究姿勢

 

――今日はなぜ國分さんが哲学者になったかをお伺いしようと思いまして。

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國分 いや、哲学者になろうなんて思っていなかったんですけどね(笑)。

――大学は政治学科をご卒業されていますが、哲学よりも先に政治に興味を持たれたのですか。

國分 大学の学部に関しては何か強いモチベーションがあったというわけではないんですよ。僕は早稲田の付属校出身なんですが、成績は良かったので学部はどこにでも行けたんです。文学部も良いなと思ったりもしましたが、叔父に「迷っているなら偏差値が一番高いところに行けばいい」と言われて(笑)。政治に関心はあったので、政治学科に進みました。具体的にどう関心を持っていたかは覚えていないんですが、ごく普通の、なんか世の中に対して苛立っている青年でした。だから自然と、世の中で起きていることや政治には関心がありましたね。あと幼い頃から教員になりたいとは思っていたんです。高校の社会科の教員免許も持っています。

――学部時代の政治の勉強はいかがでしたか。

 

國分 残念ながらあまり関心を持てませんでしたね。政治学を勉強しても政治のことが分かるとは思えなかった。ポリティカル・サイエンスという意味での政治学は20世紀に発達した新しい学問なので、そのせいもあったかもしれません。

――それで興味がグッと哲学の方へ?

國分 政治思想、政治哲学に関心を持ちました。政治学は新しい学問だけれども、政治哲学は古代からあるので本当に深くて、面白い。でも、日本の大学で哲学科に行ったことはないんです。日本の大学では政治、フランスの大学で哲学、そして今は経済学部で教えています。そんな風にひとつの領域に安住しないやり方は、僕にとって居心地が良いですし、心がけていることでもあります。哲学の話をするにも、経済の話や言語学と絡めながら考えるというのが僕のスタイルですね。常に他分野との緊張関係は持っていなければと思っています。

――他分野というと、新刊『中動態の世界』はもともと医学系の雑誌に連載されていたそうですが、なぜ医学系の媒体に?

國分 『精神看護』という雑誌で連載しました。医学系の出版社から本を出すのは初めてでしたが、きっかけは『暇と退屈の倫理学』という本を出した時に、とある講演会で小児科医で研究者の熊谷晋一郎さんや、この本の担当編集者の白石正明さんにお会いしたことなんです。熊谷さんはアルコールや薬物などの依存症に関心を抱いていらして、『暇と退屈の倫理学』が依存症を考える上で役に立つと仰ってくださった。そこから依存症に興味を持ちました。あとがきに詳しく書きましたけれども、ぼんやりと考えてきた中動態の問題が依存症を考える上で決定的に重要だとその時に気付いたんです。その後、白石さんから正式にオファーを受けて始めたという感じです。