世界中が不安定な時代に、哲学に求められるものとは何か。話題の書『中動態の世界 意志と責任の考古学』を出版し、ますます注目を集める哲学者・國分功一郎さんのロングインタビュー後編は大テーマ「哲学とは何か」に迫る。お話は「孤独」と「寂しさ」は違う、という意外な論から始まった――。(1回目はこちら

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孤独な人は必ずしも寂しさを感じるわけではない

 

――哲学は1人で考えるというイメージもある一方、例えばプラトンが『対話編』で残しているように、対話の中で考えるということもあると思います。哲学の学会発表では、話芸も重要で、ドゥルーズも人に伝えるという点をかなり意識している、レクチャーとパフォーマンスは切り離せないんだというお話も前編でありました。哲学は1人でやるのか否か。この点についてはいかがですか。

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國分 僕は哲学は根本的には1人でやるものだと思っています。最近強い関心を持っているのが、ハンナ・アーレントというドイツ出身でアメリカで活躍した女性の哲学者なんですが、彼女は、ものを考えるとは「私が私自身と対話することだ」と言っています。「ツー・イン・ワン」って言ってるんですが、ものを考えるというのは、1者の中での2者を経験することである、と。またアーレントは、私が私自身と一緒にいることを「孤独(ソリチュード)」と呼び、これを、私が私自身と一緒にいられないがために、他人をもとめてしまう「寂しさ(ロンリネス)」と区別しています。孤独な人は必ずしも寂しさを感じるわけではないということです。そして孤独においてこそ、人はものを考えることができるのであり、哲学もそこに立脚している。

――では逆に複数人でやるのは何になるんでしょう。

國分 アーレントは「政治」だと言っています。彼女によれば哲学は真理を扱い、政治は意見を扱う。真理と意見は別物ですよね。真理は納得するとか説得するとかそういうものじゃない。ただ単に「正しい」。それだけです。それに対し、意見はあくまでも相対的なものであって、複数人でああだこうだ言いながら、説得したり納得したりするものです。だからアーレントは、政治というのは意見の水準でやらなければならない、政治に真理を持ってきてはならないという考えを持っていました。政治に真理を持ってくると、それが絶対的に正しいから独裁になってしまう。プラトンは哲学者が王様になって政治をするべきだと「哲人王」の理想を説きましたが、アーレント的にはあれは最悪で、おそらく彼女は「哲学は出発点の時点で間違った」と考えていたと思います。