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自分の体との対話というのはどこか中動態的ですね

――そういった一般医学に対して具体的にどう興味があるのですか。

國分 たとえば、アスペルガー症候群当事者である綾屋紗月さんは、「おなかがすいた」という感覚をうまく抱けないと書いています(『発達障害当事者研究』医学書院)。「胃のあたりがへこむ」とか「胸がわさわさする」とか「なんとなく気持ち悪い」とか「イライラする」とかそういう諸々の感覚を総合することで「おなかがすいた」という感覚が成立するのだとしたら、その総合がうまくできない、あるいは総合に時間がかかるということです。これ、僕もよく分かるんです。なんかイライラして家族に当たったりしていると、家族から「おなかすいてるんでしょ?」とか言われて、「ああ、そうか」と気づく。それに似ているんですが、疲れもよく分からないんです。最近は減ったんですが、僕、たまに倒れるんですよ、突然。

 

――それは疲労が溜まっていることに気づかずに、休まず生活し続けるからなんですか。

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國分 そうですね。風邪をひいたり「疲れたな」と感じるというのは、体から「休みなさい」というサインが出てるってことですね。でもそれをうまく受け取れない。それをうまく受け取れていれば突然倒れたりしないですむんですが。自分の体との対話というのはどこか中動態的ですね。能動でも受動でもない。

「君はドゥルーズをフランス語で読めるのか!」って驚かれて驚いた(笑)

――本当に色々なことが中動態で説明できそうですね。

國分 中動態のイメージを手にすると、いろいろな物事の見方が変わってくると思います。ただ、僕が本を書くときには、まずはイメージを排して厳密にやるということを徹底しました。というのも、中動態をろくに定義もしないでイメージだけで論じている研究者はたくさんいたんです。それではダメです。一度厳密に定義した上ではじめてイメージとしても使えるようになる。とすると、まずは中動態があった言語を勉強しなければならないわけで、僕も『中動態の世界』を書くために、アテネ・フランセに毎週通ってギリシア語を勉強したんです。

――えっ、わざわざアテネ・フランセへ。やはり哲学を研究されるにあたって語学は必須なんですね。

國分 実際のところ、英語圏だと原典を読まないといけないという気持ちはあまり強くないように感じます。僕の研究対象の1人はフランスの哲学者のジル・ドゥルーズですが、あるとき、「君はドゥルーズをフランス語で読めるのか!」って驚かれて驚いたことがあります(笑)。でも、そこは学者の倫理として譲れませんね。フランス語が読めなければドゥルーズは分からないとは全く思わないけれども、フランス語で読めた方がいいですよね。フランス語訳でしか谷崎潤一郎を読んだことのない専門家がいたら「ちょっとなぁ」とは思うわけです。今は英語での発信が強く求められていて、それは必要だと思う一方、英語さえできればいいという風潮には反対の気持ちです。

――では英語も勉強されて。

 

國分 ここ3、4年くらいは割と英語を一生懸命勉強してますね。2年前には1年間ロンドンで生活しましたし、海外の学会発表もなるべくたくさんやるようにしています。人文系だと僕より下の世代があまり海外に出ないという感じがしていて、僕がなんとか先陣を切って、彼らがもっと海外に出て行きやすい雰囲気や環境作りをしたいという気持ちもあります。

僕の本は推理小説みたいだと言われる

――哲学の学会ってどんな感じなんですか。想像がつかないんですが……

國分 僕が行くものだと、100人から200人ぐらいがあちこちから集まって、毎日、朝から晩まで、いくつかの部屋に分かれて発表をしているという感じです。またたくさん集まりますので、面白いものもあれば面白くないものもある。僕は内容だけじゃなくて、伝え方も工夫しています。聞いている側にハッとしてもらえなければ残らないんですね。単に原稿を読んでいるだけじゃ伝わらない。言葉遣いとか息継ぎのタイミングとかスピード感が大事だと思います。レクチャーとパフォーマンスは切り離せませんね。ドゥルーズも哲学の授業をするには、独自の発声法が必要だと言っていますがその通りですね。

――哲学というと1人で作業するイメージが強いですが、聞き手にうまく伝えることも大切なんですね。

國分 もちろん1人で考える作業が基本です。1人でいることができなければ哲学はできません。でも伝える作業も哲学においては大切です。本は特にそうですね。僕が本を書く場合にはストーリーを持たせるということに気を配っています。読者がそのストーリーにノって、最後まで読みたいと思えるように書いています。よく僕の本はミステリー小説とか推理小説みたいだと言われるんですけど、とてもうれしいです。