澄んだ文体を持ち、行間にまでたっぷり読みどころが含まれているのが、沼田真佑さんの小説『影裏(えいり)』。岩手に住む会社員の男性が、釣りを通して同僚と交流を深めていくも、東日本大震災をきっかけにふたりの関係が変質していく。表面上は淡々と話が進むものの、一皮剥けば激情が揺らめく気配を感じる同作が、このたび芥川賞を射止めた。

 作品同様、静かな佇まいを見せる沼田真佑さんに、受賞のこと、小説のこと、来し方行く末を聞いた。

(聞き手・構成 山内宏泰)

あまり温かくしていただくと、生殺しに遭っているようでつらい

 悩み多き人、である。

 7月19日に発表された第157回芥川賞を、『影裏』で受賞した。受賞作決定後ただちに開かれる記者会見が、受賞者の最初の務めとなる。

 喜びを爆発させたり、感動に浸ってもおかしくない場のはずだが、壇上へ進む沼田真佑さんは終始うつむき加減で、表情も硬い。

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 そのまま撮影セッションに入り、無数のカメラからフラッシュライトを浴びせられる。こちらを向いてください。今度はこっちも。求めに応じて体勢を変える隙に、沼田さんはこっそりと、大きくひとつ息を吐いた。「なんで自分がこんな目に……」と言いたげにも見えた。

壇上でフラッシュを浴びせられた ©文藝春秋

 ひょっとして、受賞に対して何か思うところがある? 翌日、話を聞く機会を得て訊ねると、

「いえ、まさかそんなことはありません。会見で『今の気持ちを』と問われてひとこと『光栄です』とお答えしたのが、本心です。うれしいですし、虚栄心も大いにくすぐられています。ただ、みなさんに迎え入れていただいている状況というのが、どうにも落ち着かないといいますか……。子どものころから、どちらかといえばアウェイに強い性質なんです。全員に嫌われているような立場のほうが、破れかぶれになって楽にふるまえる。これだけ温かくしていただくと、かえって生殺しに遭っているようで」

 それに、と浮かない表情の理由を、もうひとつ挙げてくれた。

「受賞するなんて本当に予想外で、今もまだひたすら戸惑っているというのが本当のところです。自分ではSNSをしないんですが、そういうのに詳しい人から選考前に聞いたところでは、下馬評は低そうだとのことでした。それに自分の候補作を考えても、受賞するにはちょっと短かすぎるんじゃないか、文章が思わせぶりに過ぎるんじゃないか、そもそも芥川賞にはあまり合わないタイプの小説じゃないか……。いくらでも『受賞できない理由』は思いついたので、そんなものが受賞することはないだろうと信じ切っていました」

 沼田さんは岩手県在住なので、発表の日に合わせて上京していたが、受賞はないと踏んで、翌日は家族とうなぎを食べに行ったりと目いっぱい予定を入れていたくらいである。

 荷物の中には、人前に出るような晴れ着の用意もなかった。

「普段着しか持ってきていなくて、会見のときに羽織っていたのも、風呂上がりに汗が引いたあとで着るようなシャツです。ホテルでアイロンを借りて、シワを伸ばしている程度です」

 さらにもうひとつ。小説家としては引け目も感じていたという。

「『影裏』はデビュー作です。まだひとつしか小説を出していないのに、こんな賞をいただいていいのかという気持ちも強い。この先も書き続けられるのか? という疑問が選考の場で出たと聞いていますが、そう言われるのも当然だと思いますし、自分でもそこは不安に感じたりします」

 会見の際には、そのあたりの心境を、

「ジーパンを1本しか持っていないのに、ベストジーニスト賞をいただいてしまったような気分」

 と表現した。笑いを誘う巧みな比喩ゆえ、前もって用意していた答えかと思いきや、まったくそんなことはない。痛感していた気持ちを、素直に口にしただけだったという。