少しでも知っているものを総動員しようと、川釣りをテーマにした
そう、沼田さんは今年4月、『影裏』で文學界新人賞を受賞したばかり。同作が引き続き、芥川賞にもノミネートされたかたちだ。
「新人賞をいただいたときは素直にうれしくて、最高の気分を味わえました」
とのこと。しかし、歓喜は長く続かなかった。
「そのあとすぐに憂鬱になって、その気分がずっと続いています。素人として文章を書いているぶんにはすごく気楽だったんですけど、受賞してデビューすると書くことが仕事になってしまうわけで、単純に楽しんでいられなくなってしまったんです。
いえ、何も作品の評判や批評が怖いというわけではないですよ。それよりも、自分がどうしても構えて書いてしまうことに、不自由さを感じてしまう。一作しか書いていないのに、それが賞を得たものですから、その作品に縛られてしまうんです。あれがウケたのだから、今度もこうしたほうがいいかななどと、自己模倣するようになってしまって。自己模倣は本人が真っ先に気づきますから、それがまた恥ずかしくてしかたない。そんなふうに悶々として、この3ヶ月を過ごしてきました。
次作を書こうともがくのですが、蟻地獄に落ちたような深みにはまっていくばかり。ああ、もう一生書けないのかなと、何度も思いました」
なるほど、プロのもの書きになったがゆえの葛藤を、すでに数ヶ月にわたって味わっていたわけだ。
が、ここで気づく。自己模倣を恐れたり次を書きあぐねるのは、受賞作『影裏』が小説として、完成度の高い大きな到達点だったからではないか。
「そうですね、なんとか最後まで書き上げた小説はいくつもありますが、今回はわりと自然に書けたという実感がありました。楽にすらすら書けたというのではないんですが、誰か他の人の作品や文体を気にしたりすることなく、無心に書き進めることができたんですね。作品の出来栄えとして、これまでとは違うだろうとは、自分でも思っていました」
『影裏』は、会社の同僚にあたる2人の男性が、川釣りに勤しむ場面で幕を開ける。糸を垂らすのは生出川で、これは岩手県に実在する。
「うちの近所でして、しょっちゅう足を運んでいるところです。ひまなときふらりと行くような場所ですね。釣りは好きですが、とはいえ1年に5、6回行くかどうかといった程度です。園児から小学生時代に、父親にフナやコイ釣りを仕込まれたのが最初です。渓流釣りをかじり始めたのは、2012年に岩手に来てからですね」
作中、主人公の今野は会社で時を過ごしたりもするが、読後に強い印象を残すのは、何といっても釣りのシーン。なぜ川釣りを作品の中心に据えたのか。
「日ごろ幅広い人との付き合いもなく、ずいぶん狭い世界で生きています。いざものを書くときには、ちょっとでも詳しいものは総動員させてネタに使わないといけなくなります。せめて知っているものを使って書こうと、地元の川や釣りを使ったというところです」
読んでいると、酒を飲むシーンも散見されて、話の展開のいいアクセントになっている。岩手は酒どころでもあることだし、沼田さん自身、かなりイケる口なのでは?
「ええ、飲みますよ。日本酒やワインといった醸造酒の類が好みです。アルコール度数も中くらいなのがいいんですよね。ビールじゃ軽すぎるし、ウイスキーでは重すぎる。何事も中くらいが好きなんです」
ちなみに芥川賞を受賞した夜は、かなり深酒をした?
「ハイボールなどの炭酸系とワインとを合わせて5杯ほどだったと記憶しています。夜中の2〜3時くらいでお開きになったみたいですね。あまり記憶がないんですが」
(インタビュー後編に続く)