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 父の本棚は日本文学が中心だったのだが、それとは真逆に八つ上の兄の本棚は外国文学が中心だった。スタインベックの『怒りの葡萄』やヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』、トルストイ『戦争と平和』など、子供の自分にとってはかなり興味深い本のタイトル満載の空間だった。『怒りの葡萄』の『葡萄』があの当時はブドウとは読めず読めた後も何故? どうして果物のブドウが怒るんだ?……とか、たわいもない疑問がグルグル頭の中を駆け巡り、怒るブドウの絵を描いて兄に見せたような記憶があるが、当然完全無視……今思えば、少々変わった子供だったような気がする。

 そんな幼い頃の影響なのか、その後、個人的に本を選ぶ条件として、その本のタイトルは、かなり重要なプライオリティになってしまったようだ。例えば、柴田翔『されどわれらが日々──』、松本清張『ゼロの焦点』、島崎藤村『桜の実の熟する時』、庄司薫『白鳥の歌なんか聞えない』、三島由紀夫『美徳のよろめき』、サルトル『嘔吐』、カミュ『異邦人』、ソール・ベロー『宙ぶらりんの男』など枚挙にいとまがないぐらいだ。

 そんな本のタイトル依存症候群は、曲を作り始めた最初の頃は少なからず、その影響下にあって、何故か曲のタイトルだけボツ、もしくは要・変更をディレクターに強いられるという悲しい結末を迎えた楽曲が多々あった。覚えているだけでも『赤い砂塵と大地』、『感傷旅行』、『愛と挫折の逃避行』など、デビュー当時の一九七四年、叙情派フォークグループを目指していたALFEEにはまったくそぐわないタイトルばかりで、今思えばボツになって当然……恥ずかしい限りだ。

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 しかし幼い頃、何故あれほど父や兄の本棚に執着していたのだろうか……。

 おそらくそれは家の中での、自分の置かれている状況や立場などが影響していたのではないかと思う。

 あの頃の自分は家族の中では圧倒的に下の立場であって、可愛がられてはいたが、常にみそっかす的存在に甘んじなければならなかった。それに対する反発を少なからず感じながら、釈然としない何かを感じ取っていたのだろう。

 そんな当時の自分にとって、父や兄の本棚にあった読めないタイトルの本、理解不能な本のタイトルは……未知の大人の世界への入り口のようなものだったのだ。それさえ読めれば、それさえ理解出来れば、二人に追いつける。そう本気で思っていたのかもしれない。

 今でも目を閉じると、当時の父の本棚が心象風景として浮かび上がってくる。その本棚に置けるような小説をいつか自分も書いてみたいものだ。

※この原稿は「オール讀物」2016年11月号に掲載されました。