「ましてや現在、安倍政権は『桜を見る会』のみならず、新型コロナウイルスの感染拡大を巡って横浜港に停泊していたクルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス』をホットスポットにしてしまった判断などに疑義を呈されています。立憲民主党と国民民主党の再合流が不発に終わり、年明け以降、吹き始めていた“解散風”も山積する問題の前にすっかり凪となっています。皇位継承の議論なんて今の安倍総理に始められるわけはないのです」(前出・政府関係者)
愛子さまのご結婚は、もはや遠い未来の話とは言えない
秋篠宮さまは1学年下の紀子さま(当時は川嶋紀子さん)と学習院大学在学中に知り合われ、1988年に卒業すると、英オックスフォード大学大学院留学2年目の89年9月の皇室会議で、ご結婚が正式に決定している。学習院大学への進学が正式に決まった天皇家の長子・愛子さまのご結婚は、もはや遠い未来の話とは言えないのだ。
「昭和天皇の背中を見て育たれた上皇陛下や上皇陛下の背中を見て育たれた天皇陛下は、それ自体が帝王学だったと言えます。ご結婚により皇籍を離れる前提で育てられた愛子さまとは置かれた環境は全く異なりますが、天皇直系の長子として天皇陛下の背中を見て育たれた愛子さまの皇族としての資質は、女性宮家当主として申し分ないという意見も庁内にはあります。
一方、皇位継承の重圧を感じることなく育てられた秋篠宮さまのもとで育てられた悠仁さまの帝王学とはどうあるべきかは、ずっと大きな課題でした。伝統から切り離され、お茶の水女子大学の附属で学ばれた悠仁さまには未知の部分も多い。ご両親に教育方針を任せきりにしたことの是非が問われるのはこれからでしょうけれども、天皇直系の長子というお立場にない悠仁さまには、将来の天皇として昭和天皇の杉浦重剛や上皇陛下の小泉信三のような外部の教育掛(教育係)が必要なのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
悠仁さましか皇位が継承できないという状況になれば、その妃(きさき)となる女性のお世継ぎへの重圧は、長年苦しまれたとはいえ、雅子皇后の比ではなくなるであろうことは想像に難くない。悠仁さまの帝王学に加え、愛子さまの女性宮家創設の是非、そしてその先にある女性天皇の是非は、もはや待ったなしで議論すべきだろう。