夏休みのうきうきした気分を一瞬で沈めるのが大量の「宿題」。「宿題はさっさと済ませる」「最後の数日で片付ける」「やらない」と、取り組み方、進め方は様々ですが、大人になってからの仕事のスタイルとほぼ一致する、という説があります。そこで今回「夏休みの宿題」をテーマに文春オンラインの筆者にアンケートをとり、現在の仕事との類似や当時の思い出を伺いました。
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【アンケート項目】
1.夏休みの宿題の終わらせ方と仕事の進め方が類似していますか? ○△×でお答えください。
2.夏休みの宿題の終わらせ方は、次の5パターンのうちどれに当てはまりますか?
また、現在の仕事の進め方や行動パターンとの類似点、思い出に残っている夏休みの宿題・自由研究もお聞かせください。
(1)先行逃げ切り型(7月中にすべての宿題を終わらせる)
(2)コツコツ積み立て型(ペースを守ってムラなく計画的に終わらせる)
(3)まくり型(夏休みの最後になって大慌てで取り組む)
(4)不提出型
(5)その他(他人任せ、嫌いなものは後回しなど)
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回答者:真魚八重子
不提出か、白紙か。道理が通っている作業しかしたくない
1.×
2.(5)その他(他人任せ、嫌いなものは後回しなど)
夏休みの宿題は、高校時代はほとんど記憶がないので、もう手をつけもしなかった気がします。不提出か、名前だけ書いて白紙で出すとか。高校時代は不登校で、授業の単位が足りない分を、3学期に200枚程レポートを提出して補填にしてもらい、そのままダブらずに大学進学出来たのが奇跡みたいな状態でした。なので、夏休みの宿題なんてそもそも念頭になかったと思います。
小学生の頃は、家庭科の宿題が概念としてスッポリ抜けていました。そのため夏休みの終わりに、提出物の刺繍とか、料理の手伝いの記録などは、母親にやってもらってました。あと、理科で植物の外来種と在来種を比較するために、その差異がわかりやすい花を摘んでくる、という課題がありました。もちろんそれも度忘れしていたのですが、母がたまたま習っていた水墨画で、まさに外来種だとわかる植物を描いていたので、その母の絵を提出しました。先生には呆れた顔をされました。
ライターの仕事を始めてからは、やっと好きなことに時間が使える! と思い、調べものや執筆もきちんとやっていて、学生時代とはまるで別人です。ただ、最近は仕事を抱え込みすぎたり、人に読まれる原稿という気負いで悩んでしまい、〆切を守れない場合が出てきて、かなり自己嫌悪に陥っていますが……。でも「わたしに夏休みの宿題を出す方が悪い!」と、どうかしてる考え方をしていた過去の自分と、「わたしに仕事を振ってくれる編集者さんや、読者に対して良い原稿を書きたい」と思う今の自分は、長い目で見ると根幹は一緒です。道理が通っている作業しかしたくないんですよね。夏休みの宿題には必然を感じなかった。けれど今はやりたいことを生業に出来たのだから、しっかりこなすべき必然がある。過去のわたしは、学生という作業が合理的に感じられなかったのでした。