歓声無ぇ チャンテが無ぇ 演出それ程揃って無ぇ
風船無ぇ 歌も無ぇ 増井の3凡見たこと無ぇ
塁に出て 安打出て 帰るランナー見たこと無ぇ
張が居ねぇ Kも居ねぇ 風岡右手がグールグルー
オラこんな日々嫌だ オラこんな日々嫌だ ドームさ出るだぁ
これ以上ふざけると吉幾三先生に怒られそうなのでこの辺でやめておくが、40数年生きてきた中で、これ程異常な空気での野球観戦は初めてだ。いや、増井投手の4凡や走塁コーチの話が初めてって事では無くて、無観客で、時に選手の罵声や放送事故の音声まで聞こえてしまう野球場。2020年の球春はコロナパニックに連れられてやって来たのだろう。ならばこの無観客試合、初めて直面するこの状況の楽しみ方を自分なりに模索して見ようかと思う。いや、相変わらずミュージシャンの戯言なのだが……。
究極奥義「休符を弾く」
「休符を弾く」我々ミュージシャンが目指す究極の奥義であり、「北斗の拳」で言えば北斗無想転生、「るろうに剣心」ならば天翔龍閃といった所か。もしかして例えるから余計に分かりにくくなるのか。ならば噛み砕いて説明しよう。
元来、音楽は「音符」を紡いで演奏するものである。「音符」を弾き、文字通り「休符」は休む、いや無音にするとイメージすれば良いだろう。この「音符」と「休符」を繰り返し音楽は構成されている。勿論「休符」は聞こえないが、間違い無くその楽曲の中に多数存在する。存在はするが音が無いので「ゴーストノート」とも表現する。それが「休符」である。そして優れたミュージシャンは間違い無く、皆この「休符」の表現に特に優れている。