女性監督が切り取った “性の悦びの現場”
女性監督である三島が手持ちカメラで肉迫し撮り切った、二人の最後の夜となるベッドシーンは、我々がこれまでの商業作品で見てきたものとは別物の、目を逸らすことのできない、見た者それぞれに何かのスイッチを押される“性の悦びの現場”となっている。
「最後のセックスになるかもしれない時に、私たちは電気を消すだろうかと。この瞬間を目に焼き付けるように細胞レベルで記憶にとどめておきたいと思うのではないか、と考えた」と語る三島は、彼らの身体と表情をつぶさに見せようと、ありがちな薄暗さを排し、煌々と明かりの灯る部屋で撮影した。
作りものではない“リアルさ”はなぜ生まれたか?
はじめは声を出せない塔子が鞍田のいざないで声を出し、自分を解放していく。これまで男性視線で撮られてきた作りもののベッドシーンやAVとは違い、女としてリアルな視点、行為、音声に、女性筆者は鳥肌が立った。性行為をする女の側からは、女が胸をあらわにしあからさまに脚を広げているような、単純に男の情欲をそそり起こさせる姿は見えない。だから撮らない。代わりに、相手の男の肩と表情と、男に舐められる自分の足先は見える。だから撮る。そして聞こえる音、息遣い、高鳴りゆく心音、声。
目も耳も、逃がれさせてもらえない。最後には三島曰く「観音様のような」表情を塔子が見せるまでの満たされたセックスの一部始終と、その感情の推移を、観客は“女の側で”体験するのだ。
今作で“男と女”に焦点を定めた三島監督は、この映画に2014年発表の島本理生の原作とは異なる、原作よりもはるかに厳しく、まさに“塔子の覚醒”という言葉が似つかわしいオリジナルの結末を2020年の女たちに向けて用意した。