夏休みのうきうきした気分を一瞬で沈めるのが大量の「宿題」。「宿題はさっさと済ませる」「最後の数日で片付ける」「やらない」と、取り組み方、進め方は様々ですが、大人になってからの仕事のスタイルとほぼ一致する、という説があります。そこで今回「夏休みの宿題」をテーマに文春オンラインの筆者にアンケートをとり、現在の仕事との類似や当時の思い出を伺いました。
◆◆◆
【アンケート項目】
1.夏休みの宿題の終わらせ方と仕事の進め方が類似していますか? ○△×でお答えください。
2.夏休みの宿題の終わらせ方は、次の5パターンのうちどれに当てはまりますか?
また、現在の仕事の進め方や行動パターンとの類似点、思い出に残っている夏休みの宿題・自由研究もお聞かせください。
(1)先行逃げ切り型(7月中にすべての宿題を終わらせる)
(2)コツコツ積み立て型(ペースを守ってムラなく計画的に終わらせる)
(3)まくり型(夏休みの最後になって大慌てで取り組む)
(4)不提出型
(5)その他(他人任せ、嫌いなものは後回しなど)
―――――――――
回答者:urbansea
ビートたけし『恐怖びっくり毒本』の感想文を書いて、担任の女教師に叱られた
1.○
2.(5)その他(他人任せ、嫌いなものは後回しなど)
やれそうな宿題は早々にやるが、そうでないものは「二学期が来ないかもしれないし」と、やらずにいた。
80年代というのは、核戦争や天変地異で二学期が来ないことが期待できた。まだ“冷戦”の真っ只中だったし、ノストラダムスの予言もばりばりで、滅亡が早まるかもしれないとの期待ができた。たとえそれらが起きようとも、おれは死なない、そういう身勝手な確信とともに。
その後に下請け稼業の会社員になると、こんどはクライアントの倒産や不祥事で、案件がぶっ飛ぶことを期待するようになる。朝、電車に乗ると、向かいの者が読んでいる新聞に……と、そんな夢を見さえする。
そのような私の思い出の宿題は、ビートたけしである。
私は工場労働者の家の子であった。そこで書物といえば、「ワニの本」や「カッパの本」である。そんな生育環境で読書感想文を書くとなれば、それらから選んでしまうのは自然な話である。
ワニにカッパにと、なんだ普通の児童書じゃないかと思われるかもしれないが、『プロ野球を十倍楽しく見る方法』や『頭の体操』などの新書レーベルのことだ。“一億総中流”の時代の、大衆の娯楽・教養でもあったろう。
小学の夏、読書感想文を書くのに選んだのは、「ワニの本」のビートたけし『恐怖びっくり毒本』だった。下ネタやパロディのほか、深川通り魔殺人や金属バット殺人などの犯罪者のネタが詰まったブラックジョーク集である。休み明け、それで読書感想文を書いてきたのが気味が悪かったのだろう、担任の女教師は私を叱り、ついでに母親に電話を入れることになる。
本を手にすること、それ自体が私にとっては大人の世界を覗き見るための行為であった。しかし教員にとっては子供は子供の世界を生き、その世界のなかで宿題をしてきてくれなきゃ困るに違いない。そりゃそうだよなと今になっては思う。まあ、同じく「ワニの本」の奈良林祥『新HOW TO SEX』でなかっただけでもマシじゃないかとも思うが。