記者の顔を覚え挨拶、質問にもしっかり答えるように
合コン相手を「ブス帰れコール」で号泣させたという非道ぶりも報じられている(「週刊文春」2014年6月26日号)。佐藤は俳優仲間の三浦翔平と主催した合コンで、相手女性に酷い仕打ちに及んでいた。三浦は佐藤の顔色を窺いながら場を仕切り、佐藤が三浦に目配せすると、三浦は参加した女性に対して「ブース、帰れ! ブース、帰れ!」とコールをかけ始め、佐藤はお酒を飲みながらその様子を満足げに見ていたという。
「そんな健でしたが、キャリアを積んで、20代後半くらいから仕事を一番に考えるようになったのです。仕事へのこだわりは強くなり、自分がどういう役をやるのか、この役を演じることで自分がどう見えるか。いつも自分の見せ方を突き詰めて考えています。
LINEやYouTuberデビューについては、事務所も独自で収益を出す方法を思案していて、所属する俳優やアーティストの情報を有効に出していきたい意向があった。それを佐藤は理解していて、生電話やYouTubeは『等身大の自分を見せられる』と積極的で、『もっとこうしたらいいんじゃないか』と、本人自ら意見を言っています」(同前)
インタビューなどの現場での振る舞いも変わったという。
「同年代の俳優でも、インタビュアーと目も合わさない役者や、質問に対してはぐらかす俳優もいますが、彼は記者の顔を一人一人覚えていて『どうもご無沙汰しています』と必ず挨拶をするのです。雑誌の取材を嫌う俳優は多いですが、どんな質問にも嫌な顔せず、聞かれたことに対しては記者の目を見てしっかり話すようになりました」(雑誌記者)
負けず嫌いな”ガリ勉少年”だった
そもそも佐藤は、学生時代はモテない”ガリ勉少年”だったという。
「小柄で細く、女の子にはモテなかったけど、とにかく勉強が出来て、負けず嫌いだった。学年でいつも1位の子がいたんですけど、あるとき『絶対に抜かす』と言って、その後、本当に学年で1番になったときは驚きました」(中学時代の同級生)
地元は埼玉。当時は野球が大好きな少年で、動きがすばしっこかったことから、クラスメイトからは「さる」というあだ名で呼ばれていたという。
「もともと仕事に関してはマメなんです。埼玉から出てきた純朴な少年が、芸能界デビューをして、一気にモテて舞い上がっていた。それが三十路を超えて落ち着き、円熟味を増したんです。とはいえ、プライベートでは、相変わらず女優仲間に『いつヤラせてくれるの?』と口説いているそうで、女好きは変わっていないようですが(笑)」(前出・芸能プロ関係者)
佐藤の人気はしばらく“つづ”きそうだ。