『100日後に死ぬワニ』で言えば、友人の事故死が作品製作の動機であると作者自身が語っていることからも明らかなように、「メメント・モリ(死を思え)」というメッセージが作品の核にある。だからこそ、作品とそのキャラクターに強い愛着をもったファンたちは死を商品化するような行為に拒絶反応を示したのだ。
毎日決まった時間に更新、日常に侵入するしかけ
架空のキャラクターに強い愛着を持つファンたちを単純にナイーブだと考えてはいけない。『100日後に死ぬワニ』という作品はツイッターというメディアの特性を活かして、意識的にファンたちとの間に強い情緒的なつながりを作り出しているからだ。
『100日後に死ぬワニ』は毎日決まった時間に更新され、ファンはこの作品を日々目にする。目に触れる時間の多さが親近感や信頼の醸成に貢献することは、街中に溢れる広告の多さを見れば明白だ。作品が描く平凡な日常生活が私たちの現実の時間と同期していることも重要だ。私たちがクリスマスや大晦日を経験する時に、作中の動物のキャラクターたちもクリスマス・ケーキを売り除夜の鐘を聞く。
「100日後に死ぬワニ」
— きくちゆうき (@yuukikikuchi) December 25, 2019
14日目 pic.twitter.com/D6tEVxhAsq
『100日後に死ぬワニ』はファンの日常に侵入し、あたかもこの動物たちが友達であるかのような感覚を作り出す。友達を見ているような感覚がファンを作品に惹きつける力となっているのだから、友達の死の追悼を販促イベントにしてしまえば怒りを買うのも当然なのだ。
消費者と精神的なつながりが価値になる時代
ジェンキンスはこのような作品とファンとの間に生まれる精神的なつながりを「情動の経済」と呼び、企業が消費者を自社のブランドに繋ぎ止めるためのマーケティング戦略として議論する。
テレビが今よりも支配的な影響力を誇った時代であれば、自社の広告がどれくらいお茶の間に侵入できているかを測るには、視聴率が最も有効な指標だった。しかし現代においては視聴率やページ・ビューは影響力を測る特権的な指標ではなく、代わりに企業は消費者との間に精神的な関係性を作り出そうと様々なマーケティング戦略を繰り出している。
『100日後に死ぬワニ』はあまりにも人々の日常にうまく浸透したがゆえに、多くの企業がその潜在的価値に素早く飛びついた。しかし、コラボ企画の露骨な商業主義が反発を招いたことからもわかるように、この精神的なつながりというものは、それが情緒的であったり感情的であったりするがゆえに、企業が思うようにコントロールできるものではないのだ。
持ち上がった「人工芝」の疑惑
『100日後に死ぬワニ』のファンたちの怒りにはもうひとつ別の水準が存在する。「電通案件」という言葉が表している通り、この作品の人気それ自体がすべて最初から電通という企業が仕掛けたものではないかという疑惑が持ち上がった。