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 ある作品のファンになるとき、普通、人は打算を働かせるのではなく素朴にその作品を好きになるのだ。ツイッターで『100日後に死ぬワニ』をリツイートするとき、ファンたちは経済的利害から離れて、ジェンキンスの好みの用語を使うならば、「草の根」の活動をしているのだ。だからこそ、ファンの活動自体が営利企業によってこっそりと仕組まれていたものであったとわかると強い反発心が発生する。

 ジェンキンスは「草の根」の活動を偽装した営利企業の活動や政治活動を「人工芝」と呼んでいるが、『100日後に死ぬワニ』も電通による「人工芝」ではないかと疑われたわけだ。 

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「人工芝」がファンと営利企業の間の信頼関係を毀損するという議論は、しかし、営利企業と作品のコラボ自体が悪だという意味ではない。現在の資本主義体制下では、作者が作品から金銭的利益を得なければ生活ができなくなってしまう。

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 電通は過労死事件などの問題を抱えた企業であることは確かだが、きくちゆうきによれば連載を始めた段階で電通は関与していないので、『100日後に死ぬワニ』は電通による「人工芝」ではない。むしろ、「電通案件」という言い方は、少なくとも今回の件では、ネット上で人気を博した「草の根」のコンテンツは必ずどこかの営利企業が目をつけて商品展開を目論むというより本質的な問題から目を逸らしてしまう。 

死の予告は読者の解釈を枠づけた

 ファンの日常に侵入するという点に話を戻すと、あらかじめワニの死が予告されていることも重要な機能を果たしている。死の予告をすることでカウント・ダウン型のメディア・イベントとして作品を枠付け、ゴールに向かってファンたちの関心を維持することに成功している。別の言い方をすると、クリフハンガーのような作劇手法のように、ワニがどう死ぬかという興味で読者をつなぎとめているのだ。

 作品本編では決して死んだワニ自身は描かれなかったのに対して、ロフトの「100ワニ追悼Pop Up Shop」という企画の天使の輪を頭に頂いたワニというイメージは、あからさまにワニの死自体を主要な注目の対象として使っている点で、このようなカウント・ダウン的な興味関心の延長線上にあるものだと言える。 


 しかしこのことは、すべてのファンが『100日後に死ぬワニ』をカウント・ダウン型の娯楽としか考えていなかったという意味ではない。死の予告は「メメント・モリ(死を思え)」というテーマに読者の解釈を枠づける機能も果たしている。

 例えば、ワニはふかふかの雲布団を予約するが、その布団は1年後にしか届かない。我々は布団がワニのもとに届くときには彼はすでに死んでいることを知っているので、この日常的なシーンでさえも緊張感をもった解釈をするように誘導される。


 実際、単にワニの死を娯楽にしたカウント・ダウンだという説明だけではこの作品のツイッター上での人気は説明がつかないだろう。