松岡 教育格差の存在を感じている人は多いと思いますが、日本では「生まれ」による格差が目に見えづらいからこそ社会問題化しにくい状況があると私は考えています。たとえば高校だと、偏差値60以上の進学校と偏差値40以下の「教育困難校」では、生徒の「生まれ」が平均的には大きく異なりますが、大半の生徒の見た目は同じ日本人です。でも、進学校と「教育困難校」に通う生徒を比べると、たとえば親の学歴はかなり違います。高校によって生徒の「生まれ」は全然違うのに、それが「見た目」ではわからない。そのため、高校受験の結果は個人の能力や選択によるものだと見なされてしまうという解釈です。
データに基づく議論がない
松岡 一方、米国では事情が異なります。私はあちらに10年いましたが、米国社会は肌の色と社会経済的地位が大きく重なっているので、「生まれ」が「可視化」されています。たとえば、高校でも勉強ができる特進クラスは、白人と東アジア系ばかりだったりする。一方、基礎クラスは東アジア系を除く有色人種の割合が明らかに高い。能力で選抜すると「生まれ」で別クラスに振り分けているのとあまり変わらないことが可視化されているわけです。だから米国では、「生まれ」による格差が社会の問題だという共通認識を得やすいのだと思います。貧困を含む格差は大統領選でも候補者に問われる重要課題ですし、その対策として真っ先に上がるのは教育です。
中室 なるほどね。
松岡 ただ、このような指摘に対して「経済的に恵まれない家庭や地方の出身であっても、刻苦勉励して大学を卒業し、成功した人を知っている」という反論があります。しかしながら、データが示すのは全体の傾向ですから、それと一致しない例を意図的に探し出すのはそう難しくないんです。「データが示す社会全体の実態」と「個人の見聞に基づく実感」に乖離があり、萩生田大臣の身の丈発言の背景にもそれがあると思います。
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では、どうすれば教育格差は解消されるのか――。二人の対談「『教育格差』が格差社会を加速させる」は「文藝春秋」4月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されている。
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「教育格差」が格差社会を加速させる