恋文で「断然山田耕作氏を抜かう」と宣言
いっぽうで、夫の古関裕而はどんなひとだったのか。
お坊ちゃん育ちで、穏やかな性格の楽天家だった――。生前交流があった誰もがそう口をそろえている。口数は少なく、まさに金子とはデコボココンビだったものの、うちに秘めた情熱は激しかった。
それが窺われるのが、金子との恋文である。ふたりは1回も会わずに、文通で交流を深め、駆け落ち寸前の失踪事件を起こした挙げ句、ついに結婚に至った、当時としてはたいへん珍しいカップルだった。
それだけに、今日に残されているその文面はなかなか凄まじい。
金子が「私は貴方が好きです。私は大好きです。好きで好きでたまらないのです」と書けば、裕而も「最も愛する(こんな文字を用ふるのをお許し下さい。この文字以外に、自分の胸中を表現する字は無いのです。)内山金子さん」と書くような有様。朱色のハートマークまで登場し、まるで絵文字だ。読んでいるこちらが恥ずかしくなってくる(内山は金子の旧姓)。
裕而は、そのやり取りのなかで山田耕筰(文面では耕作)さえも激しく批判している。
「彼の芸術は立派だかも、知らないが、あの、腐つた品性を、読んだ時、彼の作品にも、その悪性がしみ込んで居るかと思ふと」
「自分は、芸術に於て、山田耕作氏以上にならう、否、断然山田耕作氏を抜かうと思つてます」
クラシック作曲家を目指していた古関は、それまで山田を崇拝していた。それなのに、どうしてこんなことになったのか。それは、雑誌で山田の女性問題が報道されたからだった。金子との清く正しい交際を目指していた裕而は、山田の醜聞が許せなかったのだ。
それにしても、山田を超える宣言とは。このように古関は、しばしば激しい内面を垣間見せた。そんな部分を内に秘めていたからこそ、激動の昭和を音楽で生き抜き、ついに5000曲ともいわれる作品を残すことができたのだろう。
デコボココンビも、内面では共通するところがあった。