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 その歌詞は、3番が「筑紫のきわみ みちのおく/海山とおく へだつとも/その真心は へだてなく/ひとつに尽くせ 国のため」、4番が「千島のおくも 沖縄も/八洲(やしま)のうちの 守りなり/至らんくにに いさおしく/つとめよわがせ つゝがなく」というものであった。ちょうどこの歌詞が書かれる直前、1875年には樺太・千島交換条約によって千島列島が日本領と画定され、1879年には琉球藩が沖縄県として日本政府に編入されていた。「蛍の光」は別れの歌であるとともに、国のために尽くし、我が国土を守らねばならないと、愛国心を喚起する歌でもあったのだ。その後、日清戦争、日露戦争を経て領土が拡大するごとに、4番の出だしの歌詞は「千島のはても台湾も」、さらには「台湾のはても樺太も」と改変されている。

 愛国歌でもあった「蛍の光」だが、皮肉なことに、太平洋戦争中の1943年、内閣情報局が決定した敵性楽曲1000曲のなかには原曲の「オールド・ラング・サイン」も含まれ、演奏が禁じられる。「蛍の光」は指定されなかったとはいえ、これにより実質的に演奏ができなくなってしまった(※2)。

 敗戦後、「蛍の光」は3~4番を削って音楽教科書に復活する。意外なことに、教科書で必ずとりあげなければならない学習指導要領の共通教材にはこれまで一度もなったことがないにもかかわらず、卒業式の儀式歌として歌い継がれてきた。

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閉店BGMの“仕掛け人”は朝ドラ『エール』の主人公

「蛍の光」をアレンジした古関裕而。3月30日から始まったNHK朝ドラ『エール』の主人公のモデルでもある ©共同通信社

「蛍の光」が別れの歌として日本人の頭に刷り込まれているのは、卒業式のせいだけではなく、店舗や施設が閉まる際に流されることが多いからでもある。じつは全国の閉店放送の定番となっているこの曲には、「蛍の光」ではなく「別れのワルツ」というタイトルがつけられている。

 戦後まもない1949年に日本で公開されたアメリカ映画『哀愁』では、ダンスシーンで「オールド・ラング・サイン」が使われ、人々に強い印象を与えた。当時、同曲のレコードは輸入されていなかったため、コロムビアレコードでは、採譜・アレンジしたうえでレコードを発売した。「オールド・ラング・サイン」および「蛍の光」は本来、三拍子系だが、このレコード化にあたって日本人の好む四拍子系の曲調へとアレンジされた。これが「別れのワルツ」と題され、閉店放送の曲として広まったのである。このアレンジを手がけたのは、作曲家の古関裕而(1909~89)である(※4)。古関といえば、きのう(3月30日)から始まったNHKの連続テレビ小説『エール』で窪田正孝が演じる主人公のモデルだ。古関は昭和の戦前・戦中・戦後を通して多くのヒット曲を生み出し、大学の応援歌やプロ野球の球団歌などいまなお愛唱されているものも少なくない。人々の心をつかむ類いまれな才能は、「蛍の光」のアレンジでも発揮されたのである。

 ちなみに古関裕而は福島市の出身だが、「蛍の光」の作詞者・稲垣千頴も同じく福島県中通りに位置する現在の棚倉町の出身である。

朝ドラ『エール』で主人公の作曲家・古山裕一を演じる窪田正孝 ©AFLO

※1 有本真紀『卒業式の歴史学』(講談社選書メチエ、2013年)
※2 中西光雄『「蛍の光」と稲垣千頴 国民的唱歌と作詞者の数奇な運命』(ぎょうせい、2012年)
※3 エドワード・モース『日本その日その日 第3巻』(東洋文庫、1971年)
※4 刑部芳則『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(中公新書、2019年)