昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/04/15

 和光では発足当初から戦後にかけて、成城学園の教師だった作曲家の岡本敏明、児童劇作家で学校劇運動に携わっていた斎田喬が教えに来ていた(※6)。これがのちにいたるまで音楽教育、演劇教育が盛んに行なわれる下地となる。

 戦前より生徒の自主性を重んじてきた自由な校風は、戦後、丸木政臣らの指導もあり、さらにユニークな展開を見た。三枝成彰は後年、和光時代について、《クラスの顔ぶれもユニークで、家の事情で他校から移ってきた子や、公立の学校になじめないで転校したという子もいた。国籍すらバラバラだった。障害を持つ生徒も他の生徒と一緒に学んでいた。そういう環境で暮らしていると、「世の中にはいろいろな人間がいるのが当たり前。みな平等なんだ」という意識が自然に育ってくる。何でも自分たちで決めさせてくれたし、学校もそれを尊重してくれた》と振り返っている(※6)。

 1970年代に国が障害児の養護学校就学の義務化や、普通学校のなかに障害児学級の設置を推進するようになってからも、和光では「共同教育」を標榜し、障害を持つ生徒も普通学級で一緒に学ぶ姿勢が貫かれた。芸能人や文化人が子供を和光に通わせたがるのも、ユニークな才能が輩出されるのも、こうした自由で多様性を認める校風ゆえなのだろう。

オザケン、小山田圭吾、オリジナル・ラブ田島貴男も……

 いまから25年ほど前、1990年代半ばにも和光学園が注目されたことがある。それというのも、このころ音楽シーンで脚光を浴びていた元フリッパーズ・ギターの小沢健二と小山田圭吾、元L⇔Rの嶺川貴子、オリジナル・ラブの田島貴男などといったミュージシャンが和光出身だったからだ。小山田は小学校から高校まで和光ですごし、中学時代に小沢と一緒になっている(小沢は中学卒業後、神奈川県立多摩高校に進学)。田島と嶺川は大学が和光である。

フリッパーズ・ギター(当時)の小沢健二と小山田圭吾も和光OB。90年リリースのシングル『カメラ!カメラ!カメラ』

 当時、和光学園をとりあげた雑誌記事では、和光学園出身の著名人30人がリストアップされていた。