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連載昭和事件史

2020/04/19

「もらい子周旋人の親玉」とされて検挙された福田はつは、家に子どもが5人おり、素直に自供したこともあって4月14日に釈放されていた。

 ところが17日、5人目の女児が「突然栄養不良で死亡した」として地元の診療所に死亡診断書を依頼に来た。女医が詰問すると「居丈高に居直り、猛烈なタンカを切るありさまに」診断書を出したのち通報。「板橋署はこの大胆な行為に大いに驚き、同日午後4時前、前原警部はじめ警察官、刑事ら岩ノ坂に急行すると、ちょうど酒を飲んで葬式を出そうとしているところで、ただちに葬式を中止させ、はつを検挙するとともに死児を検視すると」「直接手段の他殺ではないが、いつもの手で間接的に死に至らしめていることが明らかになった」という。

釈放直後また事件が……(東京日日)

「数多くの子どもを世話するうち、自分も養育費が欲しくなり」「合計6人の子どもをもらっては同様死亡せしめていたことが判明した」。はつは別にいる4人の実子だけは無事に成長させている、と記事は述べている。

「何が彼らをしてそうさせたか」

 4月20日付東京日日夕刊では「死んだ貰ひ子が 数年間に五十人」の見出しで報じている。「取り調べた結果だけみても、最近数カ年に死亡したもらい子は52名に上っており、死因にも深いナゾが秘められている」。

 前日19日には東京刑事地方裁判所検事局の戸沢検事が現地を視察。「想像以上にひどいのに驚いた。事件は単純であるが、社会問題として観察するとき、何が彼らをしてそうさせたか、大いに研究する必要があると思う」と語っている。世界恐慌で不景気の風が吹き荒れたこの年、プロレタリア作家・藤森成吉の戯曲「何が彼女をさう(そう)させたか」が映画化され、2月に公開されて話題を呼んでいた。検事はそれにひっかけたのか、記者の機転か。

#2に続く】

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