放蕩息子が戻ってきて、父はほっとした。棄てた猫が戻ってきたときに千秋はほっとした。千秋が奈良の寺から実家に戻されたときに弁識はほっとした。引き離された者(人だけではなく猫も含まれるので、有情と表現した方が正確だ)が本来の場所に戻ることの喜びということでは、『猫を棄てる』で描かれた物語も「放蕩息子のたとえ」と同じ事柄を別の言葉で表現しているに過ぎない。
中国兵を処刑……父から継承された戦争体験
本来の場所に戻るということは、その場に固有の苦難を引きうけるということでもある。村上春樹氏が父から引きうけたのは、戦争体験だ。
〈一度だけ父は僕に打ち明けるように、自分の属していた部隊が、捕虜にした中国兵を処刑したことがあると語った。(中略)僕は当時まだ小学校の低学年だった。父はそのときの処刑の様子を淡々と語った。中国兵は、自分が殺されるとわかっていても、騒ぎもせず、恐がりもせず、ただじっと目を閉じて静かにそこに座っていた。そして斬首された。実に見上げた態度だった、と父は言った。彼は斬殺されたその中国兵に対する敬意を――おそらくは死ぬときまで――深く抱き続けていたようだった。〉
斬殺された死者に対する敬意は、恐れの感情と一体になって父から子に継承された。それは一種のトラウマにもなる。
〈いずれにせよその父の回想は、軍刀で人の首がはねられる残忍な光景は、言うまでもなく幼い僕の心に強烈に焼きつけられることになった。ひとつの情景として、更に言うならひとつの疑似体験として。言い換えれば、父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを――現代の用語を借りればトラウマを――息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ。その本質は〈引き継ぎ〉という行為、あるいは儀式の中にある。その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。〉