『君の名は。』『天気の子』などの作品で知られるアニメーション監督の新海誠監督が、アップルのMacを学生向けにプロモーションするオリジナルコンテンツに登場する。
先日から、「アニメの中に登場するMac」をつないだ動画「Macの向こうから —まだこの世界にない物語を」が公開されているが、実は新海監督のインタビュー動画と一対になった存在でもある。
新海監督は1973年生まれ。幼少の頃からパソコンを使っていた、「パソコンの勃興とともに育った世代」だ。彼は1999年に公開した『彼女と彼女の猫』、2002年公開の『ほしのこえ』は、ほぼ一人で、自分が持っているMacで制作し、そこから監督としての第一歩を踏み出している。今回のキャンペーンは、そうした背景に基づくものだ。
「学生にチャレンジしてほしい」
そのメッセージは明確だ。では、新海監督はどのような思いで、自ら作品を作るようになったのか? 今の状況をどう見ているのか? 「つくること」「チャレンジすること」にまつわる彼の思いを聞いた。
「未来の象徴」を手にした少年時代
「子供の頃、コンピュータは『道具』という感じじゃなかったですね。文字を打つ文房具でもない。未来の象徴であり、最大のおもちゃ、という感じでした」
新海監督がパソコンと出会ったのは1983年、まだ小学校4年生から5年生の頃だ。Macの発売(1984年)より前であり、Windowsもない。英語圏ではようやく仕事にも使われ始めたが、日本で本格的に仕事にも使われるようになり、一般的な存在になるのはもう少し先のこと。多くの場合には、もっぱらゲームに使われていた。だがこの時期、多数の企業がパソコン市場に参入し、一種のブームが生まれていた。「将来のため」「学習用」などの名目で、パソコンを与えられた子供たちが相当数いた。新海監督も、そんな子供たちの一人だった。
「僕が使っていたのは、シャープの『MZ-2000』という機種でした。その頃はソフトが機種ごとに違っていたのですが、MZ-2000はあまりソフトがなくて。結局、自分でソフトを作っていました。お絵描きのソフトとか、音楽を鳴らすものとか。子供の頃『すてきな三にんぐみ』(トミー・アンゲラー作 発売元:偕成社)という絵本が大好きだったのですが、それをパソコンで再現しようとしていましたね。絵と音楽、両方を組み合わせて。絵を入れるといっても、当時のことですから、方眼紙に絵を描いて、その座標を読み取ってドットで絵を描く……というレベルでしたけど」
当時のパソコンは性能も低かったし、できることも限られていた。ネットにもつながらない。しかし、画材にも楽器にもゲーム機にもなる「魔法の道具」を与えられたことは、新海監督を含む、当時の子供たちに大きな影響を与え、その後、日本のコンテンツ産業を支える大きな礎となった。10代の新海少年も、そんなパソコンに夢中になった。