新海誠監督の長編アニメーション映画『天気の子』が先月17日より全米で一般公開され、ボックスオフィスランキングで初日と2日目連続で2位となり、1月25日までの10日間の興行収入は7.2億円と好調なスタートを切った。惜しくもアカデミー賞ノミネートは逃したものの、アメリカでも評判を呼んでいるという。日本国内では、昨年7月に公開以来、年末までに興収140億2000万円を記録し、邦画興収年間第1位を獲得している。邦画で興収100億円を突破したのは、同じく新海作品で2016年に公開された『君の名は。』以来3年ぶりのことであった。きょう2月9日はその新海監督の誕生日である。1973年生まれの47歳。
「映画監督になりたいと思ったことはなかった」
宮崎駿、庵野秀明、細田守など著名なアニメーション監督のほとんどは、大小にかかわらずスタジオでの集団制作を経験して世に出たが、その点で新海はまったく異色の経歴を持つ。何しろ事実上のデビュー作である25分の短編『ほしのこえ』(2002年)は、監督・脚本・絵コンテ・作画・美術・編集とすべてを一人でこなし、パソコンでつくりあげたものだったからだ。当時すでにCGアニメはアメリカのピクサーなど国内外でつくられるようになっていたが、個人でここまで完成度の高い作品ができると知らしめたのは画期的であった。同作は2002年2月2日、全50席のミニシアターで初公開され、終映後には満員の客席から拍手があがったという。新海は《あの残響が耳から消えないことが、今も作品を作り続けている理由です》と、『天気の子』公開時に語っている(※1)。
そもそも映画監督になりたいと思ったことはなかったという(※2)。大学を卒業後、就職したのもゲーム会社だった。業務のためパソコンで本格的に絵を描くようになった彼は、しだいに自分自身の物語を語ってみたくなった。ここからパソコンによるアニメーション制作を思い立ち、会社に勤務しながら半年をかけて『彼女と彼女の猫』という5分のモノクロ作品をつくった。1999年、26歳のときだ。この作品がCGアニメのコンテストで受賞したことから自信を得て、さらに先へ進もうと決意する。こうして着手したのが『ほしのこえ』だった。制作に集中するため会社をやめ、約8ヵ月間部屋にこもりながら、絵だけでも1000枚近く描き、ついに完成にまでこぎつける。