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《新海誠監督インタビュー》“三流SF”のような現実の中で僕らが出来ること

《新海誠監督インタビュー》“三流SF”のような現実の中で僕らが出来ること

「君の名は。」「天気の子」を生み出した創作の原点を語る

2020/03/06
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三流SFのような「現状」で僕らが出来ること

 なにかを作るための道具も、それを人に伝える環境も違う。その変化をどう思うのか。新海監督は、言葉を選びながら次のように話した。

「時代によって色々な条件は変わります。作家になりやすい時代もありますし、なりにくい時代もあったでしょう。特定の表現が作りやすい時代もあるし、そうでない時もあります。

 でも僕たちは、自分で生まれる時代を選べるわけでもないし、時代状況を左右できるわけでもありません。たまたま、出会ったそのタイミングで、出来ることを探してやっていくしかない。

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 僕は、今日お話ししたようなタイミングで生きてきて、そのタイミングで作りたいと思ったから、その果てに今があります。自分で選択したことの方がはるかに少ない気がするんですよ。Macを選んだこととか、制作にどのソフトを選んだとか、あるいはシナリオの1行1行は自分の選択の行為ですけれど、それらの全てが時代時代によって変わるわけですよ。

 

 今だって、学校が一斉休校になって映画の上映延期が相次いでいます。まるで三流のSFのような世界です。1ヶ月前とは違う。そのことを僕たちは選べないし、予想もできないわけじゃないですか。

 でも、今、ものを作るということ、表現するということは、『夏は水害を危惧し、冬は感染症におびえる』という状況を前提としたものになる、ということだと思うんです。僕たちはそれを切り離して生きていくことはできないし、Macみたいなプロダクトだって、そういう大きな状況とは無縁ではいられない。すべての共鳴の先に、個人の表現があるんだと思います。

 だから、『今のような状況での表現』といういい方はなかなか難しくて。それはもうコントロールを超えたものなんだな、と率直に考えています。

 僕はこれまで、大画面をみんなで一緒に見る、という『映画興行』という形が面白い、と思ってやってきました。しかし今この瞬間は、『たくさんの人が集まる』ということ自体が忌諱される状況になっています。

 こんなふうに、映画作りや作品作りは経済や社会状況とは切り離しようがないんだということを、僕たちはまさに突きつけられているわけですよね。映画に関して言えば、ごく短期的には映画館を避けて配信に、という気分になっていくのかもしれない。そうすると、みんな一緒に大きなスクリーンで没入して……ということも、今後は時期によっては難しいことになるのかもしれない。

 そんな中で、どこを向いてなにを作るのか? まさにいま毎日、次の新作企画に向き合う中で、物語そのものとは違う部分ではありますが、絶え間なく変化していく環境の中で自分はなにを作るべきなのかを考えています。現在進行形で、結論が出しにくいものです。どんな大きさで見るのか、縦画面なのか横画面なのかですら、コンテンツクリエイターだけでコントロールできる時代ではありません。

 都度都度周りを見ながら、その中で自分がなにをできるのか、ということを考えていく。そんな風に思います」

 

 あらゆることが「時代」や「状況」の中での選択である。それは誰にとっても変わらないことだ。新海監督が学生に「やるべきだ」とメッセージを出すのも、こうした状況を受けてのことだ。

「だから、『やりたい』という気持ちがあったらやるべきなんです。もちろん、誰もがなにかを表現しなければいけないわけではないので、やる・やらないの自由はあなたにあります。

 しかし、誰かに見て欲しい・知って欲しいという気持ちがあるなら、やるべきなんです。そのための環境が目の前にあるわけだから。その一歩を踏み出していってほしいです」

新海誠 映画ページ(リンク先はApple TVです)
https://itunes.apple.com/jp/artist/469413274#see-all/recent-movies

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