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陛下と雅子さまの間に流れるフラットな空気

 つまり「対等さ」なのだと思う。陛下と雅子さまの間に、フラットな空気が流れている。それは上皇さまと美智子さまの間の空気とは、大きく違う。私が雅子さまの後ろ姿に目を見張ったのは、美智子さまを前提にした思い込みがあったからだ。美智子さまには、上皇さまの少し後ろを歩かれるイメージがある。昭和一桁に生まれたお二人だから、それは当然のことだろう。だが、陛下と雅子さまは1960年代生まれ同士。並んで歩くのが当たり前なのだ。

©JMPA

 あの日の雅子さまの後ろ姿からは、何か開放感のようなものも感じられた。自分たちの方法で、ありのままに進む。そう思い定めた清々しさが漂っていた。実は令和になってすぐにも、お二人の姿から開放感を感じる出来事があった。即位後初の地方公務として、6月1日から訪ねた愛知県。その最後の視察先でのことだった。

雅子さまからの「すごく頑張っているのね」

 6月2日の午後、お二人は愛知県三河青い鳥医療療育センターを訪ねた。入所児一人ひとりに声をかけるお二人の様子は、テレビでも報じられていた。だが、小林咲貴ちゃん(当時7歳)との交流を私が知ったのは、訪問から約2週間後、15日の朝日新聞夕刊1面だった。〈「そくいおめでとうございます」届いた 脳性まひの少女、両陛下に手紙〉と見出しがあった。

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 咲貴ちゃんは、出産時のトラブルがもとで脳性まひを患っていること。「そくいおめでとうございます。わたしはリハビリをがんばってます」と手紙を書いたこと。母の智子さんが「娘が不自由な手で書いた手紙です。無礼を承知で出しました」と手紙を添え、宮内庁に送ったこと。送る直前に2日の視察を知り、咲貴ちゃんが「あえるのを楽しみにしています」と付け足したこと。そんな経緯がまとめられていた。

2019年6月、愛知県三河青い鳥医療療育センターを訪れ、入所者と談笑される天皇皇后両陛下。この時に小林咲貴ちゃんとも交流があったという。 ©時事通信社

 当日、陛下が咲貴ちゃんに「お手紙ありがとう。うれしかったですよ」と声をかけられ、雅子さまが「すごく頑張っているのね」と続けられたと記事にあった。むやみに感動した。一人の少女が送った手紙が宮内庁を経由し、きちんとお二人に届いた。お二人が少女に声をかけ、それが記事になった。その事実に感動した。窓が開き、爽やかな風が通った気分になった。

 雅子さまにとって平成の大半は、「適応障害」との闘いだった。その間、雅子さまの情報はごく抑制的にしか開示されなかった。それが回復への近道と、皇太子さま(当時)が判断されてのことだったろう。だが発信が少ない分、例えば「三つ星レストランでの食事」が報じられれば目立つ。そうしてお二人への批判が高まった。宮内庁はもう少し情報開示の道を考えられないのだろうか。そんなふうに思っていた。