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 ただ困ったのは、チャペルとの手続きの前に、叔父の基本的な履歴情報を送らなければいけなかったことです。おおよその略歴はわかっているものの、渡米して何十年も経っていては、本籍地などわかりません。そこは結局「不明」で済ませて提出したら、ようやく申請書がメールで送られてきたんです。

犠牲者が多すぎて散骨にも制限が

 それらの記入と申請手続きを終えて、移送と火葬にかかる費用約6000ドル(約70万円)をクレジットカードで支払いました。実はチャペルのホームページでは散骨サービスを謳ってあり、それ込みの支払いのつもりだったのですが、電話で確認すると現在はしていないというのです。

 というのも、東京のわが家はすでに「墓じまい」をしてしまったので、叔父の遺灰が送られてきても困ってしまうのです。現在、遺体はチャペルの駐車場に停めてある冷蔵トラックのコンテナ内にあり、火葬を待っているのですが、その間に遺灰の散骨を手配する必要があります。

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ニューヨークのアンドリュー・クオモ州知事 ©AFLO

 米国では面白いことに、沿岸警備隊(コーストガード)が無料で散骨をしてくれるんです。遺族の立ち会いは許されませんし、散骨方法も船か飛行機か選べませんが、ありがたいと思いさっそく申し込みました。

 ところが問い合わせると、新型コロナウイルスの犠牲者があまりにも多いので、今は軍人以外受け付けていないとのこと。そこで、隣のニュージャージー州のコーストガードに掛けあっていまして、ここでなんとか受け入れてもらえそうな状況です。

まだ遺書も確認できていない

 叔父は少年期に進駐軍の米兵と懇意になり、独学で英語を覚えて通訳をしていました。そんなことから、任期を終えて帰国したその兵士を頼って、1960年に横浜港から船で渡米したんです。その後奨学金を得てニューヨークのコロンビア大学を卒業した叔父は、パンアメリカン航空(パンナム)に就職しました。

 そもそも役者志望の二枚目で、たまに日本に帰ってくると私にパンナムの旅行バッグをお土産にくれたりしました。

©iStock.com

 航空会社はどこも景気のよい時代でした。叔父はその後、ヘッドハントでヴァリグ・ブラジル航空のニューヨーク支店長に就任しました。マンハッタンのマンションはその頃に購入したのではないでしょうか。引退後は特技の社交ダンスのインストラクターなどをしていたようです。

 私は叔父の資産に興味はありませんし、そもそも米国では法律により外国人が米国の不動産を相続することはできません。ですが遺書は確認しなければならないので、叔父の顧問弁護士に連絡したところ、葬儀社が出すデス・サーティフィケート(死亡証明書)がないと内容は開示できないといわれてしまいました。これも現在保留になっています。

後編に続く