球界屈指の野球エリート もう一人の大谷
もう一人の大谷、二刀流じゃない方の大谷。メディアや野球ファンはマリーンズの大谷智久投手を、そう呼んだりする。だから、あえて私はこの場を借りて声を大にして伝えたい。「こっちの大谷も凄いぞ!」と。
まずはその華麗なる球歴。神奈川県に在住していた小学生の時にソフトボールを始めた。5年の時に横浜ベイスターズ杯で優勝。大阪に転校をした中学時代には軟式野球部に所属し2年で大阪大会準優勝。3年はベスト4。その名は広く知られることになり、名門・報徳学園高校に入学。高2春には選抜高等学校野球大会で全国制覇した。
大学は誰もが憧れる早稲田大学に進学。4年に鳥谷敬内野手、青木宣親外野手(ブルージェイズ)など大先輩たちの活躍もあり一年春に六大学のリーグ戦で優勝をすると秋も優勝。その後、3年春、4年秋とリーグ戦優勝を積み重ねていった。4年秋には防御率のタイトルも獲得し、社会人も古豪・トヨタ自動車に入社。1年目に社会人野球日本選手権で優勝をすると2年目も同大会で優勝をし、MVPを獲得した。そして09年オフ、晴れてドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団する。
「経歴だけですよ。経歴だけ。自分の力ではない。チームメートに恵まれていました。そしていろいろなご縁があって、ずっと素晴らしい環境で野球をやらせていただいたのです。自分の力ではないです」
マリーンズの海坊主とも言われる男は、華やかな経歴を聞かれると顔を真っ赤にして恥ずかしがった。球界屈指の野球エリートとは思えないほどのこの謙虚さがまた彼の大きな魅力である。そして華やかな経歴の中に挫折も経験している。大学、社会人とケガも経験し、野球が出来ない日々を送ったこともある。社会人2年目にはプロに指名されると言われ、会社内には会見場も設置されていたが結局、名前が呼ばれないというショッキングな思い出もある。
謙虚な姿勢のワケ
そんな日々を積み重ねて迎えた3年目。プロは諦めかけていたが、ドラフト数日前に「指名されるかもしれない」との情報が耳に入る。それでも前年の苦い思い出が残っている大谷はどこか信じられなかった。同僚の荻野貴司外野手をマリーンズが1位で指名。中澤雅人投手はスワローズが1位で指名する。待合室には大谷だけがポツリと取り残された。昨年の悔しい経験が頭をよぎる。
しかし、今度はすぐに2位でマリーンズが指名してくれた。その時の喜びは今も忘れない。だからこそ今も謙虚で感謝を忘れず、日々を悔いなきように生きている。プロ1年目からコツコツと結果を積み重ねてきた。思うような結果が出せない日々に、もがき悩みながらも徐々に自分のスタイルを確立して今日のポジションがある。
「プロでは最初は甘えがあった。結果より内容を追い求めていたこともあった。頑張っているのに結果が出ないとか思ったりもした。でも、ここはそんな青春のような世界ではない。報われないことも多い世界。努力は当たり前で、人よりもっともっと工夫をしてやらないといけない。そして余計なことは省かないといけない。割り切ることも必要だったりする。結果がすべてで、結果を出すためになにをしなくてはいけないかと考えないといけない。そういうのが少しずつ分かってきた」