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「こんな素敵なことは他にないやろ」元ホークス・斉藤和巳を築き上げたあの1勝

文春野球コラム Cリーグ2020

 斉藤和巳。言わずと知れたホークスの、いや、プロ野球界のレジェンドピッチャーである。僕は和巳さんとは福岡のスポーツ番組で共演させて頂いているほかにプライベートでも大変お世話になっている。


 先日の深夜、初めてインスタライブをしていた和巳さん。僕らも流れで一緒に配信する事になった。最初は、「昔2人きりで焼鳥食べにいきましたね〜」など、たわいも無い話をしていたが、気が付けば「リハビリ生活」「引退する時の話」などほろ酔いだったのも後押ししてか、和巳さんが熱く話して下さり、僕は配信中にグッときた。
この和巳さんの想いを多くの方に伝えたいと思い、ほろ酔いでは無い素面な時に改めて和巳さんに電話でお話を聞かせて頂いた。

斉藤和巳を作り上げた“あの1勝”

 和巳さんといえば、沢村賞2回、生涯勝率.775。言わずと知れた負けないエース。そして、なんと言ってもファンを魅了したのが、あの気迫。バッターを抑えた後の雄叫びがファンを盛り上げた。こんなにも大投手の和巳さんだが、プロ野球人生はリハビリに始まり、リハビリに終わった。
ファンの誰もが想像しただろう。「怪我が無ければ和巳はどれほどの伝説を残せたのだろう」と。


 しかし和巳さんはこう言う。
「リハビリ生活があったからこそ、人への感謝、仲間の大切さを教えてもらえた」。一見、関西弁のオラオラ系の兄ちゃんと思われがちだが、実は人一倍仲間想いで、情に厚い。僕がこうして文春野球さんで記事を書かせて頂いているという事も手放しで喜んでくれた。

和巳さんとノボせもん

 勝ち負け関係なく数々の伝説的な試合を繰り広げて来た和巳さんだが、その中でも一番印象に残ってる試合は?

「そりゃ、初勝利の試合やな!」。迷う事なく2000年6月24日、福岡ドームでのロッテ戦でプロ初勝利をした試合をあげた。
「リハビリでお世話になった小久保さんと一緒にお立ち台に上がれたのもそうやし、ここに来るまでお世話になった人、チームメイト、球団の方、そして応援してくれてるファンの皆さんが、この1勝の為にみんなで努力してきて、みんなが一体となって喜び合える。こんな素敵な事は人生他にないやろ!」。

 この歓喜を味わった瞬間、和巳さんのプロ野球選手としてのスイッチが入ったそうだ。そして、リハビリ生活の後の初勝利だったからこそ仲間の大切さ、ファンの偉大さに気付けた。チャレンジしての失敗に無駄な事は無いと知った。
「先発ピッチャーとしては週一のこの最大の喜びをこれからもずっと味わいたい! その気持ちは、2003年20勝した時はもちろん、プロ野球人生終えるまで、変わらへんかった!」。伝説の始まりのただの1勝では無く、斉藤和巳を作り上げる核となる1勝だったのだ。その気持ちが数々の伝説を産んだのだ。

現役時代の斉藤和巳 ©文藝春秋

引退を意識し始めたきっかけ

 2008年からのリハビリ期間中も毎朝6時に起き、他の選手より1時間前にグラウンドへ行き、あの大男が喚く程痛い15センチの太っとい針を肩に打って治療した。引退するまでの6年ものきついリハビリを乗り越える事が出来たのは、初勝利の時の喜びをもう一度味わいたいからだった。

 しかしそれは叶わなかった。そこまで頑張ってリハビリして来た和巳さんに何が引退を決断させたのか?

「まず引退を意識し始めたのは、小久保さん、城島さん、金本さんの引退やね」

 2012年、お世話になった先輩方の引退が、和巳さんの頭に引退という言葉を初めて明確に意識させた。

「先輩方はまだやろうと思えばやれたのに引退した。なのに俺は試合で投げてもいないのに現役でいいのか? そこで俺はまず引退を明確に考えた。でも、仲間に相談して現役を続ける事に決めた。2013年も契約のハンコを押したんやけど、引退覚悟で押した!」

 その時、同期のドラフト2位入団で親友の松本輝さん(ホークスバッティングピッチャー)だけには「もしかしたら今年で最後かも」と報告した。

 春のキャンプが始まる前に、皆に気を使わせるのが嫌な和巳さんは、何も言わず松本輝さんの協力のもと、ホークスの球団全スタッフを集め、ゴルフコンペ、食事会を開催した。「ここまで支えてくれて皆さんありがとうございました」と感謝の気持ちを心の中で告げた。どこまでも仲間を大切にする、義理人情に厚い男である。

和巳さんと松本さん

 2013年、思うように状態は良くならず、リハビリ担当コーチだった和巳さんは支配下選手として復帰できる期限の7月末に間に合わせる必要があったが、逆算して間に合わないと判断した。
そして、引退する覚悟を決めた。

 しかし、この気持ちはまだ自分の中にあるだけ。これを誰かに言った瞬間、引退が本当になる。もう後戻りが出来ない。怖かった。1人で苦しんだ。
「よし言おう!」。意を決して最初に引退を告げたのは当時の奥さんだった。「えー! そうなんだぁ。でも、旅行行けるようになるね!」と和ませてくれた。何より、初めて人に言えてモヤモヤが晴れスッキリした。次に、球団の人で最初に告げたのはやはり松本輝さんだった。松本輝さんは「マジで?」と言った後、返す言葉が無かったそうだ。入団から絶頂期を経てリハビリで頑張る姿まで、一番近くで見て来た大親友が引退を決断したのだからそれはそうだ。