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神宮に響き渡る「ヤスゥシィ~!」の大合唱

 ここ最近、しばしば頭に浮かぶのが去年のゴールデンウイークのことだ。16年4月30日、神宮球場で行われたヤクルト対巨人戦。この日の飯原は実にカッコよかった。2対3で迎えた7回裏、ヤクルトは代打攻勢に打って出る。まずは「不安カルテット」の一人、田中浩康が左中間を破るツーベースヒットを放つと、真中満監督は続いて飯原を代打に送った。マウンドには巨人・山口鉄也。飯原は山口の投じたチェンジアップに対して、まったく体勢を崩されることなくバットを一閃。打球はきれいな弾道とともにレフトスタンドへ消えた。

 神宮球場の片隅で、この場面を見ていた僕はホーム付近で喜びを爆発させている背番号《7》と《9》の姿を見て、心から喜んだ。「不安カルテット」のメンバーである2人が、見事な逆転劇を演出したのだ。この瞬間だけは、僕の不安も杞憂に終わるように感じられたものだった。ヒーローインタビューはもちろん飯原だった。

「すごく久しぶりなので感動しています。まさか入るとは思いませんでした。感動しています。ここに立てて幸せです。何と言っていいのかわからないくらい嬉しいです」

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 上気した面持ちで語る飯原。言葉に詰まりながらの感動的なインタビューだった。その瞳に浮かんでいた涙は、自宅に戻ってからのスポーツニュースで改めて確認した。飯原と言えば、マツダスタジアムで三塁走者だった際にタッチアップを怠り、当時現役だった宮本慎也にこっぴどく叱られ、翌日から懲罰のようにスタメンを外されたことを思い出す。あるいは、ファームでギックリ腰となり、野球選手とは思えないほど激ヤセして、すごく心配したこともあった。思えば、入団以来ずっと、飯原は「不安メンバー」の中心選手だったのかもしれない。だからこそ、あのゴールデンウイークの一夜のことは今でも忘れられない。

16年4月30日の巨人戦で逆転劇を演出した飯原誉士が忘れられない ©文藝春秋

 今季、ここまで17試合に登場して16打数3安打、打率.188と目立った成績は残していない(8月21日現在)。武内はまだ「守備固め」として、試合終盤での出場機会があるものの、現在のヤクルトにおける飯原の立ち位置は「右の代打」の一人でしかない。しかも、「切り札」と呼べるほどでもなく、試合に出るチャンスはほとんどない。

「勝利」を求め続けるファンとしては、少しでも選手たちに「安心」させてもらいたいものだけれど、飯原、そして武内の「不安コンビ」だけは、いつまでも僕を不安にさせてほしいのだ。「安心部門」は山田哲人やバレンティンに任せればいい。「安心」しかないチームを応援して何が楽しいのか? 飯原や武内のような「不安部門」が、チームにとって、ファンにとっていいスパイスとなるのだ。

 あぁ、飯原! いつまでも僕を不安にさせてくれ! 今度、神宮球場でBoAの『AGGRESSIVE』を聞くときには、胸がグッと締めつけられるような思いをするだろう。もちろん、飯原の登場曲だ。イントロが流れると同時に、スタジアムDJ・パトリック・ユウの掛け声に合わせて、みんなで「ヤスシ~!」、いや正確に発音するならば、「ヤスゥシィ~!」と大合唱が行われる。僕はあと何回、「ヤスゥシィ~!」と大声を張り上げることができるだろうか?

 ……ここまで書いていたら、飯原の二軍降格の知らせが届いた。この時期の二軍降格が何を意味するのか? 僕の不安はますます募るばかりである。

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