2011年、武内晋一のもどかしすぎる「今年の目標」

 馴染みの小料理屋で焼酎をあおっているとき、ふと武内晋一のことを思い出した。きっかけはよくわからないけど、唐突に「ファーストミットを構える背番号《8》」の姿が鮮やかに脳裏をよぎった。同時に「350打席」というキーワードも頭に浮かんだ。すっかり忘れていたけれど、あの春の日、武内は確かに「350打席」と口にしていたことを思い出した。

 武内晋一&350打席――。

 2つの単語が結び付き、僕は自然とため息がこぼれる。2011年開幕前、武内はなぜか「今季は350打席を目標にする」と宣言。「規定打席到達」ではなく、実に現実的な奥ゆかしい目標設定に、「もっとハッタリかませばいいのに」ともどかしかった。思えば、かつて武内が「350打席」と口にしたときに、すでに現在の彼の姿が予見されていたのかもしれない。

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 僕はすぐに手元のスマホでググってみる。2011年、彼は73試合に出場して118打席に立っている。この年、彼は118回しか打席に立てずにわずか22本のヒットに終わった。

(350打席には、ほど遠いよなぁ……)

 6年前のことを思い出して、大きなため息とともに手元の焼酎を一気に呑み干した。今年でプロ12年目。その後も350打席はおろか、シーズン200打席にも達していない。武内晋一のことを考えると、僕は身もだえしたくなるほど、もどかしくて仕方がないのだ。

今年で12年目の武内晋一 ©時事通信社

華麗な一塁守備にほれぼれする

 2005年ドラフト、武内が希望入団枠でヤクルトに入団したときは本当に興奮した。何しろ03年ドラフトでは青木宣親が、翌04年には田中浩康がいずれも早稲田大学から入団して若き才能を発揮していた。名門・早稲田から3年連続で有望野手が入団する。大学4年時には主将となり、首位打者と打点王を獲得した二冠王が我がヤクルトに入るのだ。僕自身が早稲田OBでもあるので、喜びと興奮はひとしおだった。

 しかも武内は、大杉勝男、広沢克己が背負った背番号《8》を受け継ぐのだという。入団時にすでに将来のスター選手の約束手形を与えられていた男、それが武内だった。そして、この年の開幕シリーズ。彼のデビュー戦、プロ初安打が阪神・安藤優也から放った値千金の同点3ランホームランだった。あのときは興奮したなぁ……。神宮球場の片隅で、「実にいいものを見た」と涙を流し、「さすが武内、さすが早稲田!」と、実においしいビールを飲んだものだ。

 その後、期待されていたような「即戦力」として台頭したわけではなかった。「日本人左投げ左打ち選手」の宿命である外国人との闘いが続いた。リグス、ガイエル、ホワイトセル、ミレッジ、バレンティン……。ガイエルが故障したと思ったら、石井一久の人的補償である福地寿樹が突然のブレイク。レギュラー奪取はならなかった。

 それでも、武内の一塁守備は絶品だった。チーム事情からプロ入り後、外野手での出場も増えたが、個人的にはどんなバウンドでも吸い込まれるようなミットさばきに魅了された。どんな打球も、どんな送球も美しく処理する武内の一塁守備は、ただそれだけで美しいと思った。さすが、「大学4年間無失策」という触れ込みで入団しただけのことはあった。

 さらに、武内にはヤクルト選手には珍しいキャプテンシーを備えていることがしばしば漏れ伝わってくるのも心地よかった。あの宮本慎也氏が、「次のリーダーは武内だ」と自らの後継者として認めていたというのだ。