横綱・双葉山の連勝が69で止まった。このとき、友人に「イマダモッケイ(木鶏)タリエズ」と電報を打ったのは有名な話である。
少しも動じない最強の闘鶏。転じて、強さを秘め、敵に対して全く動じないこと。これが、中国の故事に由来する「木鶏」の意味である。
2014年冬、「木鶏」と筆で書かれた色紙を手に、大瀬良大地は広島の地にやってきた。あれから7年、新人王に最多勝の活躍でエースに指名された男は、開幕から2試合連続完投勝利をマークするまでに成長した。
毛筆に思いを込めた主は、九州共立大学時代の監督・仲里清(現・名誉監督)である。29歳になった大瀬良は「木鶏」の境地に近づいたのか? 恩師に問うてみた。
「全然です。親心なのかもしれませんが、まだまだだと思います。木鶏というのは、これ以上強いのはない空前絶後の鶏です。なかなかないでしょう。むしろ、完成というものはありません。一生学ぶつもり、吸収するつもりで。それでいて、明日、人生が終わるかもしれない。そんな気持ちでやって欲しい。それを、木鶏という言葉に込めました」
九州共立大を全国の強豪へと押し上げた仲里は、新垣渚、柴原洋、馬原孝浩ら多くの名選手を育てあげてきた。ベテラン指導者は、その思いを冷静に語った。
「江川(卓)、菅野(智之)、ダルビッシュ有、大谷翔平。新垣も10年に1人の素材だと言ってきました。ただ、馬原や大瀬良は好投手ですが、こういった域ではないと思っています。彼らは努力を怠るといけません。だから、木鶏という言葉を贈ったのです」
心意気だけでなく、根拠を
むろん、大瀬良の向上心や探求心は疑いようがない。「何も考えないで投げたら、自分に経験として何も残らない」。そんな考えをベースに、近年、1球1球の「根拠」を妥協することなく追求してきた。
「プロ1年目から、そういうことが大事だと思ってやってきましたが、ピッチングの引き出しがありませんでした。だから、良いときは良い、悪いときは悪い、そんな投球が続いていました。2017年くらいから、困ったら全力で真っすぐ、そんな根拠のない考えを捨てられるようになりました。ようやく、打者の反応を見ながら、1球1球に考えを持って投げられるようになり、考えとやりたいことが追いついてきたように思います」
苦い経験がある。大学時代、延長12回、205球を投げたことである。「最後はもう根性でした。ボールが走らない。そんな中、気合いと根性だけで投げました。もちろん、結果は良いものではありませんでした。そのとき、ボールだけではない何かを自分に与えることが必要だと感じました。意図を持って、根拠のある球を投げる。マウンドでは意気に感じながらも、根拠を持ちたいと痛感したものです」。
指導者やチームメイトにも恵まれてきた。しかし、大瀬良が最も学ばされてきたのは、対戦打者だった。相手打者から学ぶ。これは、仲里が強く求めてきたことである。
その証左が、大学時代、仲里は大瀬良に対し、「最初の打者には真ん中のストレートを投げるように」と言い続けてきたことであった。
ベテラン監督には、明確な狙いがあった。「真ん中ストレートでファウルが奪えれば、これ以上のカウントの取り方はありません。自分の球威に手ごたえを持っていいでしょう。一方で、打たれたならば注意して投げていく必要があるでしょう」。
悔しい1球から学び、成長の糧にする。大瀬良の野球人生は、この繰り返しであった。2年秋の明治神宮大会2回戦では、創価大に対し159球10奪三振の力投を見せながら、3対0で敗れた。翌年の全日本大学野球選手権では、再戦した創価大を完封した。しかし、準決勝で早稲田大に敗れ、神宮をあとにしている。
仲里は当時を振り返る。「あの試合も、1番打者の中村奨吾(現・千葉ロッテ)に対し、初球で真ん中のストレートを投げています。ライトが超ファインプレーでアウトにはしましたが、捉えられた打球でした」。ここから、大瀬良は繊細に投球を組み立て、ゲームメイクを果たした。ただ、試合は、3対2での惜敗であった。