「文藝春秋」6月号の特選記事を公開します。(初公開:2020年5月29日)
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アイヌ文化への関心が高まるなか、北海道・白老町に「ウポポイ 民族共生象徴空間(国立アイヌ民族博物館)」がオープンする。今年直木賞を受賞した『熱源』で、19世紀末から20世紀にかけての厳しい時代を生き抜いたアイヌの人々を描いた川越宗一さんと俳優の宇梶剛士さんがアイヌ文化の魅力について語り合った。
宇梶さんは、生まれ育ちは東京ながら、アイヌ民族出身の母・静江さんを通して幼い頃からアイヌ文化に触れてきた。
それはいい思い出ばかりではないという。
晩ごはんは「アイヌの伝統食」だった
宇梶 家にアイヌの着物が掛けてあったり、アイヌ文様の漆器があったりと、身のまわりにアイヌ文化がありましたけれど、僕自身はアイヌとしては育っていませんから、同級生たちと違うところは変だなと思っていました。
川越 同級生たちと違う?
宇梶 たとえば、晩ごはんですね。友だちの家ではお母さんがハンバーグとかカレーライスとか子どもが好きな料理を作ってくれるでしょう。ところが、うちの食事はいつもオハウ(アイヌの伝統食、三平汁の起源とも言われる)でした。鮭や野菜などを煮込んだ温かい汁ものです。だから僕は、50歳近くになるまで鍋が嫌いだったんですね。鍋の味は好きなんですけど、あの頃を思い出すから食欲が出ない。「どうして僕だけカレーやハンバーグを食べられないんだ」という気持ちが蘇るというか……。
川越 食べ物の恨みは怖いですね(笑)。
宇梶 僕は意識しなくても、生活習慣のなかにアイヌ文化はありました。「こんにちは」はアイヌの言葉で「イランカラプテ」といいますけど、「あなたの魂にそっと触れさせてください」という意味です。いつも話している「こんにちは」がアイヌでは「魂に触れる」なんだと、無意識にアイヌの精神みたいなものに親しんでいたように思います。
母は、僕が火をまたいだり、川にゴミを捨てたりするとものすごく怒りました。これもアイヌの教えです。よく叩かれながら「そんなこと学校で習ってないよ」と反発する気持ちはもっていました。