文字を打つ手が全く動かない。取材にも行けず、チームの空気感や選手の気持ちもわからない。中継に映る表情で察するしかなく、決して明るいとは捉えられない。祈るような気持ちで毎日応援することしかできず、翌日関西のスポーツ紙で“自滅の刃”と揶揄された7月1日の試合なんかは、みていても正直辛かった。でもそれは矢野監督が一番望んでいないこと。「ファンを笑顔にする」と約束しているからだ。

 ただ忘れてはならないのが、全部が全部うまくいっていないというわけではないということ。このようなチーム状況ではあるが、私は頬が緩む瞬間がある。青柳晃洋投手がマウンドに上がっている時間だ。

青柳晃洋

青柳を一気に成長させた1つの考え方

 ここまでまだ2試合とはいえ、防御率は0.75。走者を背負っても要所を締め、一昨年までの四死球で自滅する青柳の姿は完全に消えている。そもそも表情が全く違うのだ。四死球を与えても堂々としたマウンドさばきを見せる姿には頼もしさをも覚える。

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 昨季はプロ入り後初めて1年間ローテーションを守り、キャリアハイの9勝をマークした。「今までは四球一つで、どうしよう次を抑えないと……と思っていた。でも先発投手はそのイニングの中で取り返そうと思わなくてもいい。6~7回1失点でもいいので、後で自分で取り返せるんです。そう思うと楽に投げられるようになりました」。これは先発・中継ぎ両方を経験した福原忍投手コーチと安藤優也育成コーチからのアドバイスだった。制球力を磨くフォームを体に染み込ませることももちろん取り組んだが、この1つの考え方が青柳を一気に成長させた。

 しかし、プロの世界はそんなに甘くない。「1年間投げることができたら10勝するイメージは持てていたんですが……」。6月12日に5勝目を挙げてから8月20日まで、2か月以上勝てなかった。ただ負けただけではない。勝てない試合からも青柳はたくさんの学びを得ていた。

 ちょうど1年ほど前の7月6日の甲子園での広島戦。初回に3点の援護をもらいながら直後に3連打を浴びて1失点。3回にも3安打を許しすぐに同点とされてしまう。「この試合で抑えないと2軍と覚悟して臨んだ試合」で4回でマウンドを降りた。「めちゃめちゃ悔しくてイライラした」と振り返ったように、降板後の態度はチームの中心投手としてはふさわしいものではなかった。

 翌日、指揮官からこんな言葉を投げかけられた。「交代した後、チームはまだ試合をしている。自分の悔しさを押し殺してでも応援できないとチームを引っ張る投手にはなれない」。マウンドに立っている時だけではない。チームの柱となるために大切なことを学んだ試合だった。