「プロって声出さんでいいから、うらやましいよなあ」
5歳から大学4年までの18年間野球にはげんできたぼくの、少年時代の発言です。
100回以上は言ったし、1000回ぐらいこころの中でつぶやいたと記憶しています。同世代の野球経験者なら共感してくれるでしょう。毎日のように指導者から「声を出せ!」「元気を出せ!」と言われてきましたよね。何回言われたか数え切れないくらいに。そしてこの「声出し」はハードな練習メニューと同じぐらい、しんどかった。
実践するのは難しい『質の高い声』
対してテレビの中のプロ野球選手はいつもすずしい顔で、声なんか出すことなくプレーしているように見えていました。「うらやましいなあ」と思っていたし「プロが出してない声を出す意味あんのかな?」と疑問に思ったくらいです。
ところがどっこい、阪神タイガースの担当記者になって耳にした事実はまったく異なりました。試合中にとびかう声の大きさや量がハンパじゃありません。満員の甲子園でも、バックネット裏の記者席まで聞こえてくるレベルです。それもやみくもに叫んでいるのではなくて、プレーが起こったときに瞬時に出す、味方をたすける声がめちゃくちゃ聞こえてきます。質の高い声、とでも言いましょうか。
なぜ記者になるまで分からなかったかと言うと、プレーしている選手を見ていただけで、そこに対して出されている声にまで注目できなかったから。プレーをたすける『質の高い声』は、プレーと同時に発生するのでなおさらです(プレーばかりでややこしい)。だから少年時代のぼくは、勘違いから生まれる「うらやましさ」を感じていたのだと思います。
おもえば高校、大学にすすむにつれて指導者から『質の高い声』を求められるようになりました。たとえば「(ランナーが)走ったー!」とか「(送球すべきは)セカンドー!」といったやつです。文字だと簡単に見えますが、チーム全員が1球1球に集中していないと効果が発揮できなくて(届かなくて)難しいんです。高校、大学、社会人、それも一流と呼ばれるチームと試合させていただいた経験があるのですが、実践できているチームは数えるぐらいです。それほど難しい。