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私と父と高橋慶彦――初めて野球選手としての父を見た日のこと

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/07/16

 みなさん初めまして。高橋雛子と申します。職業は声優で、最近はモデルのお仕事などもさせていただいています。父は元・広島東洋カープの高橋慶彦です。私は世間一般で言う「二世」なので、高橋雛子よりも先に「高橋慶彦の娘」と紹介されることが多く、その際によく「カープのレジェンド」と言っていただくのですが、私は父が現役を引退したあとに生まれたので、正直、ピンと来ない部分があります。

父・高橋慶彦と私 ©高橋雛子

父とはカープどころか野球の話すらしたことがなかった

 父は家庭には野球の話を一切持ち込みません。娘ということもあって私に野球を勧めたことも無いですし、カープどころか、野球の話すらしたことがありません。アニメとマンガが大好きな私の話を聞いてくれて「ピンクの髪のこのキャラが好きなの」と見せれば「俺に似てるなあ」と返してくる。そんな人です。そういう環境で育ってきたので、父の現役時代の功績を聞いても、やはり、別の人のことを聞いているような不思議な感覚でした。

 父は人との繋がりを大切にする人で、広島に帰って来た時に家族で食事に行くお店はほとんど決まっていました。そのひとつが「焼肉河井」です。そこのマスターと父はとても仲が良く、いつも楽しそうで。私は行く度にマスターに「大きくなったのう」と言われ、父は恥ずかしそうに「せやろ~」と返して。マスターはもう亡くなられましたが、とにかく気さくで優しいおじちゃんで、焼き肉も美味しかった。あまりに父と仲が良くゴルフや野球の話を熱心にしていたけど、一体どういう人だったんだろう。ある時、不思議に思って父に聞いたのですが「河井さんも野球選手だったんよ」と。調べてみたら、1968年から1972年までカープに在籍されていた河井昭司さんでした。

 そんな環境で育ったので、恥ずかしながら数年前まで野球のルールすら知りませんでした。セ・リーグ? パ・リーグ? というレベルです。しかし、数年前にカープファンの知り合いに誘われ、ようやく観戦に行くことに。長く住んでいた広島時代でさえ1~2回しか行ったことのなかった球場。そこから上京して、人生初となった神宮球場での歓声。それは私の想像をはるかに超えた次元のものでした。

──「あっか…!」

 めちゃくちゃ赤い! 球場が赤い! 客席の半分が真っ赤なユニフォームでうまっていて本当に驚きました。ここ東京だよね……? と。いまはコロナの影響でそのような観戦はできませんが、ホームチームの大画面での選手紹介、熱気あふれる応援、真っ赤なカープファンの大声援やスクワット応援。東京での初観戦は、もう本当に、信じられないほど楽しかったです。時代は違えど、こういう環境で父はグラウンド側にいる存在だったのか。月並みですが、父はすごい人だったんだなと思いました。