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角幡唯介「あなたの探検や本は社会の役に立ってないのでは」に言いたいこと

2020/07/19
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「本当にみんな、そんなこと思ってるんですか?」と聞き返した

角幡 20代くらいの記者の方だったので、「本当にみんな、そんなこと思ってるんですか?」と聞き返したら、自分たちの世代は社会への還元とか生産性の向上を考えるべきだという思考を強いるような「圧力をすごく感じるんです」と。なんとなく社会の雰囲気として薄々は感じるじゃないですか。その話を聞いて、「やっぱりそうなんだな」と思いツイートしたというのが、事の顛末です。

――角幡さんご自身はこれまでにそういう圧力を感じたことはありませんでしたか? 函館ラ・サール高校、早稲田大学への進学や、朝日新聞に就職した時などに。

角幡 記憶にないですね。そもそも僕は、社会の役に立ちたいと思ったことがない人間ですから。むしろ役に立ちたくない(笑)。大学に入った頃は「社会に迎合したくない。迎合したら敗北だ」という一心でした。早稲田の探検部だけでなく、高校や大学時代の友人の多くが、大学に入った時「絶対に就職はしない」と言っていましたし。でもなかなかそこで突っ張るのは難しいから、基本的にはみんな現実と折り合いをつけて就職していくんですけど。

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進路学習の冊子「その夢は社会に役立ちますか?」

――進路学習の冊子で将来の夢を書き込む欄に「その夢はどのように社会に役立ちますか?」との問いがあり苛立っていた、という大学生のリプライが印象的でした。

角幡 小1の娘の道徳の教科書を見ていても、他人の迷惑にならないようにしようとか、困っている人の役に立つことを考えようとか、公共心をはぐくむ教育みたいなものばかりが前面に出ていて、すごいんです。

 もともと愛国心教育のことが気になってチェックしたんですけど、そういうものは全くなく、生きる意味を考えさせるような、難しいけど深くて考えさせられる内容になっていて全体的には悪くはないと思ったんですよ。ただ、「人の役に立つ」系の題材や他者のために行動する自己犠牲の精神ばかりに偏重している感じがして、そこはちょっと嫌な気持ちになりました。

――娘さんには、今回なんて言ったんですか?

角幡 今回というわけではないですが、「別に人の役に立たなくていいから、とにかく他人と同じことをやっちゃダメ。自分の道を切り拓くのが人生だ」ということは時折伝えます。「何言ってるかわからない。つまんない」と言われますが。

©榎本麻美/文藝春秋

――ちょっと言うのが早かったですかね……。

角幡 「じゃあ小3になったらその話をしよう」と話してます。 でも、3歳くらいから「他人と同じことをするな。自分の人生は自分で決めないと面白くないぞ」とは言い続けてきました。その結果、自分の道を歩んでいってほしいと思います。成長するにつれていろいろ外から言われるだろうことと、僕は逆のことを言おうとしているというか。公共心の観点ばかりから道徳教育されてもバランスを欠きますから、人生は固有度が大切なんだということは、親が伝えなきゃいけないでしょうね。

 で、今回の問題は、僕にとってはものすごく単純な話だと思えるんです。つまり自分に由来しているかどうか。「内在」によって引き起こされた行為かどうかが重要なのだと。

――内在。最初に「あなたは何をやりたいですか?」から始めないと、ということですか?

角幡 そうですね。「人や社会の役に立ちたい」と考えるのは至極けっこうなことで、ただし自分の経験や生きてきた結果として、そう考えるようになるのが自然だと思うんです。でなければ、その言葉を発する背骨というか土台がないままで、単なる上っ面でしかなくなる。それが僕には嘘くさく、偽善に見えます。

©榎本麻美/文藝春秋

「外側の論理」だから圧力や強制力を感じる

角幡 これまで話してきた「社会の役に立つ」「生産性に貢献する」ことへの圧力というか強制力を感じるというのは、それが外側からの要請であって、外側に由来するものだからです。たとえば政府が国力を高めたい、企業が生産性を高めたいから「社会や人の役に立ちましょう」と言う。外側の論理としては正しいのかもしれませんが、僕ら一人ひとりの論理としては、単なる「社会の役に立つ有用な人間」としてからめとられてしまいかねない。

 そうやって自分の外側から発せられる社会の要請に言われるがままに生きていったら、たとえば40歳になった時、自分の生き方に納得できるのか。自分の内側から発してくるものによって言葉や行為がつくられていないから、いつまでたっても「結局、俺はいったい何者なんだ」と空疎な思いを抱き続けることになりかねません。