“今最もチケットの取れない講談師”こと神田松之丞改め六代目神田伯山さん。先ごろ、ご先祖さまが明治時代に南米へと渡って活躍した伝説の格闘家だったことが明らかになりました。しかも本人も長年のプロレス・格闘技ファン。『1976年のアントニオ猪木』『1984年のUWF』『2000年の桜庭和志』などで知られるノンフィクション作家の柳澤健さんとの「異種格闘対談」。(全3回の1回目/#2#3へ)

 

『1984年のUWF』で前田日明にインタビューしなかった理由

伯山 柳澤さんのデビュー作『1976年のアントニオ猪木』では「リアルファイトが3戦あり、それが1976年である」と。特にアクラム・ペールワン戦のスケールは大きかったです。試合後、猪木とペールワンのまわりを何万人もの観客が取り囲んだという。

柳澤 「アラビアン・ナイトかよ」と突っ込みたくなるくらいファンタジックなお話ですよね。パキスタンの巨大なクリケットのスタジアムで行われましたから2万人は入っていたでしょう。

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伯山 そこで地元の英雄のペールワンに猪木が勝ってしまう。猪木が「銃殺される恐れがある」と恐れから手を上げると、アラーに祈りを捧げるように見えて逃げることができたという。この関係者の話は本当なんですか?

柳澤 猪木さんの用心棒だった藤原さんは本当だと言っていますね。でも、同じ風景を猪木さんのマネージャーだった新間寿さんも見ていて、「白熱した試合だったら暴動も起こるかもしれないけど、ほぼ一方的にアクラムは猪木にやられていたから、とてもそんな暴動がおきるようなテンションじゃなかった」と僕に言いました。

伯山 まさに猪木のリアルファイトの強さにプロレスファンの留飲が下がりました。

柳澤 だけど僕はプロレスファンに批判もされているんですよ。『1984年のUWF』なら「前田日明にインタビューしてないじゃないか」とか。

1984年のUWF』(文春文庫)

伯山 インタビューしない理由については、ノンフィクション作家の田崎健太さんとの対談でお話されてましたね。直接お話を聞くと、どうしても前田さんのチェックが入ると。前田さんの場合、言葉の強さというか、そこの魅力もすごくある方なので、どうしても前田さんの声が大きくなってしまう、というのはあるんでしょうね。

柳澤 けっきょく僕がUWFの資料を読み込んだ時に思ったのは「UWFの思想は佐山から始まっている」ということなんですよ。UWFは佐山サトルの「打・投・極」という発想、統一ルールに基づいたリアルファイトの総合格闘技志向から始まっているものであり、前田日明がコンセプトを作ったわけではない。この歴史観は前田からすると都合が悪いんです。