「アクセルペダルを踏み込んだ記憶がない」
百戦錬磨の検事であり弁護士であった石川にとっても、今回の事故は衝撃だった。本人は記憶していないが、事故直後、病院に担ぎ込まれた石川は、事故の被害者が死亡したことを知り、「自分が死んだ方がよかった」と周辺に口走ったという。被害者や遺族に申し訳ないことをしたと、落ち込んだ。
しかし、数日たってだんだん落ち着いてくると、自分の過失は何だったのか、と考えるようになった。事故の記憶は鮮明だった。警察は、アクセルとブレーキの踏み間違いの線で捜査していることはわかったが、石川には、車が発進した際、アクセルペダルを踏んだ記憶がなかった。踏み続けた記憶もなかった。自由な左足は宙に浮いたままだった感覚が残っていた。アクセルペダルを踏んでいないとすれば、車が勝手に動き出したわけで、自分に暴走の責任はないのではないか、と考えた。
自分がかかわった事故で人が亡くなっている。特捜検事として絶対的な正義の立場で権力犯罪の解明に当たるのとは事情が違うが、自分の体験を法律家として整理すると、運転操作を誤ったとして罪に問われる理不尽さを容認できなかった。
警視庁は、元検事の大物弁護士の事件とあって交通捜査課が捜査に当たった。石川と死亡男性の遺族の間で慰謝料を支払う示談が成立。石川が重傷を負ったこともあって在宅のまま捜査が続いた。
石川は捜査員に「アクセルペダルを踏み込んだ記憶がない」と伝えたが、警視庁側は、「衝突4.6秒前から衝突時まで、アクセル開度が常に100%を記録している」とする事故車のEDRの解析記録を石川に示し、それが、石川がアクセルペダルを強く踏み続けた証拠だと説明した。
石川は、事故車の座席位置で足がアクセルペダルに届くのか、事故車と同じ状態にした同型車を使って運転状況の再現実況見分を行うよう警視庁に求めたが、警視庁は応じなかった。警視庁側は、石川の記憶にもとづく証言より、自動車メーカーが製造した機械装置の方を信用した。
石川は、警察では埒が明かないと考えた。警視庁が求める「自由になる左足でアクセルペダルを踏んだ記憶はまったくないが、踏んだかもしれない」との供述調書の作成に応じ、警視庁は、18年12月21日、東京地検に事件を送致した。以後、検察が捜査の主体となった。
どうやってもアクセルペダルにもブレーキペダルにも届かなかった
石川は改めて東京地検に、事故車を運転していた状況を再現する実況見分を求めた。地検は、要請に応じ、警視庁を指揮して翌19年1月24日、東京都交通局都営バス品川自動車営業所港南支所で実況見分を実施した。
警視庁の捜査員は、事故車と同型のレクサスLS500hを用意。運転席の座席の位置を、警察で保管している事故車両の座席と同じ位置に調整。事故車の座席にあったのと同程度の厚さの座布団も用意したうえ、石川を座らせた。
石川によると、右足をドアに挟んだ状態で、両手でハンドルを握ることは可能だったが、左足はどうやってもアクセルペダルにもブレーキペダルにも届かなかったという。
「事故車の座席位置に座った瞬間、事故前に座席を後ろに下げ少し背もたれも倒していたことを思い出した。前傾して運転する癖があり、停車して時間があると、いつも、リラックスするためにそうしていた」と石川はいう。
警視庁側は、この事態を予期しておらず、あわてたようだ。石川の右足をドアにはさみ、前のめりになった姿勢にしたり、事故時に履いていた靴を改めて装着させたりしたが、それでも届かなかった、と石川は振り返る。警視庁側は、足の届かない場面を含めて写真を撮影したという。
事実が固まったとして石川が帰ろうとしたところ、捜査員が100メートルほど追いかけてきて、再度、石川は車に乗せられ、今度は普通の座席位置で写真を撮った。当然、左足はアクセルペダルに届いた。
#2へ続く
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