2020年上半期(1月~6月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。女性芸能人部門の第3位は、こちら!(初公開日 2020年6月27日)。
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時はインターネットが普及しつつあった1997年。『週刊プレイボーイ』12月9日号の誌面で、17歳の新人アイドルが芸名を募集した。応募はハガキだけでなく、当時まだ珍しかったネットのチャットでも受けつけ、約1万7千通が集まったなかから選ばれたのが「優香」だった。これは最終的に1文字違いの「優菜」と並んで残り、当時若い女の子のあいだで「ってゆうか~」と言うのが流行っていたことから選ばれたという。同誌の翌1998年4月7日号では、優香となった彼女が芸名のお披露目とともに水着姿でグラビアを飾った。
ちなみに優香の“名付け親”となったのは、大学生の男性だった。その副賞として彼女とデートする権利を得た男性は、一緒に青山劇場へ舞台を観に行ったとか。のち2016年のインタビューで彼女は、《今、その方はきっと40代だから、お父さんになっているのかな。もしも娘さんがいたら、“優香”って名前をつけてくれていることを願っています(笑)》と語った(※1)。そんな優香も同年、俳優の青木崇高と結婚し、今年4月には第1子の出産を所属事務所のホリプロを通じて発表している。きょう6月27日は彼女の誕生日で、40歳を迎えた。
「またパイを投げられてみたい」
優香はデビューするや、雑誌のグラビアを席巻すると同時に、テレ
初共演は、1998年10月より半年間放送された『集まれ!ナンデモ笑学校』(テレビ東京系)というバラエティ番組でだった。このとき、マネージャーから「コントは原点だ」と勧められ、コントができれば芝居もアドリブでできるようになると言われたという。この番組中のコントで、志村からクリームのついたパイを思い切りぶつけられ、かなり痛かったが、快感を覚えたらしい。のちに志村との対談で「またパイを投げられてみたい」とねだるほどだった(※2)。ただ、べつのところでは、《志村さんとのコントだから好きなんですね。だから、パイを投げられてる私を見て、「この子はそういうのべつに抵抗がないんだ」とか、「優香ちゃんは何でもやってくれる」と思われるのも、ちょっといやなんですよね》と正直な気持ちも打ち明けている(※3)。コントをやるのも、志村という信頼できる大先輩が相手だからこそだったらしい。じつはデビュー当初はバラエティ自体が苦手だったという。