詳しくは「文藝春秋」8月号掲載の記事「自粛警察――小市民が弾圧者に変わるとき」に譲るが、彼を駆り立てているのは、政府や専門家が求めてきた公衆衛生的に「正しいこと」を極めて真面目に実践してきたという自負と、緩んでいる周囲が「けしからん」と思う感情、そして動画を見た人々からの少なくない支持だ。
彼らは日本社会の「異質な存在」ではない
私は、極端な行動を取る人々の内側に何があるのかを知りたくて、彼に取材を申し込んだ。
結果、見えてきたのは、彼らは決して日本社会の「異質な存在」ではないという事実だった。
むしろ、彼らを支えているのは、パチンコ店に並ぶ人々に対して怒りを覚えたという人々の義憤であり、今ならば感染が広がる歌舞伎町のホストにペナルティを科せと憤る感情を持つ人々だ。
パチンコ店でクラスターは発生したのか?
私たちは湧き上がりやすい感情を冷ますために、何かにつけ時間をかける必要がある。こう問い直してみよう。
あれだけ騒がれたパチンコ店で、実際にクラスターは発生したのだろうか? 無論、今後可能性が無いとは言えないが、黙ってパチンコ台に向き合うだけなら飛沫が飛び散るリスクは思いのほか低かったということが、客観的事実ではないか。
ホストにペナルティを科せば感染は広がらないのか? 当然ながら彼らは患者である。ペナルティよりも大切なのは、彼らの協力を取り付け、感染経路を辿り、接触者の検査を徹底することで蔓延を防ぐことではないか。
感情もまた感染していく。それを防ぐためには、社会的距離と同じように時間が必要なのだ。
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石戸諭氏による「自粛警察――小市民が弾圧者に変わるとき」の全文は、「文藝春秋」8月号および「文藝春秋digital」に掲載されています。
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自粛警察——小市民が弾圧者に変わるとき