無事之名馬(ぶじこれめいば)──。

「能力が多少劣っていても、ケガなく無事に走り続ける馬は名馬である」という意味の格言がある。これは、この文春オンラインを運営する株式会社文藝春秋を創設した(当時は文藝春秋社)作家の菊池寛が、競馬関係者から書を求められた際に禅語の「無事是貴人(ぶじこれきにん)」をもじってしたためた造語だと言われている。

「無事に走り続けている」石川雅規

 現在のプロ野球で、これを地で行くと言っていいのが今年で19年目の40歳、ヤクルトの石川雅規だろう。もちろん、NPB現役最多の通算171勝を誇る投手を「才能が劣っている」などというつもりは毛頭ない。決して常勝チームではなく、Aクラスの常連でもないヤクルトでこれだけの勝利数を積み上げ、プロ入りからの5年連続を含め、こちらも現役最多となる11回の2ケタ勝利をマークするというのは、並大抵のことではない。

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 ただし、これだけの長きにわたって「無事に走り続けている」ことはそれと同等、あるいはそれ以上に価値のあることだと思っている。石川は12勝を挙げて新人王に輝いたプロ1年目の2002年を皮切りに、昨年まで18年連続で20試合以上に登板。しかもこの間、シーズン中に1軍のマウンドに上がらなかった月はひと月たりともない(フルにスケジュールが組まれることのない3月、10月は、それぞれ4月、9月と併せて1カ月とみなす)。現代のプロ野球で、こんなピッチャーはなかなかいない。

 とかく「ヤ戦病院」と揶揄されがちなヤクルトでいえば、昨年、一昨年のスパンで見ても、レギュラーシーズンの計12カ月にすべて登板している先発投手は、石川の他にはデービッド・ブキャナンだけ。ブキャナンは昨年限りで退団し、今年は韓国・サムスンでプレーしているが、石川は現在もヤクルトでこの“記録”を継続している。

 今年はご承知のとおり、新型コロナウイルス感染拡大の影響により開幕が6月にずれ込んだわけだが、石川は自身3年ぶり9回目の開幕マウンドとなった6月19日の中日戦(神宮)を含め6月は2試合、7月も2試合に先発。これでプロ入りから、実に110カ月連続の1軍登板となった。

 だが、その石川も今年はここまで勝ち星に手が届かずにいる。開幕戦は3点リードでマウンドを譲るも、チームはその後に逆転負け。続く6月26日の巨人戦(神宮)でも6回1失点と好投しながら、またしても後続が打たれてつかみかけた白星は逃げていった。逆に7月3日のDeNA戦(神宮)と14日の阪神戦(甲子園)はリードを守れず、いずれも敗戦投手。この試合を最後に、上半身のコンディション不良により1軍マウンドから遠ざかることになる。

石川雅規 ©時事通信社

「のどから手が出るほど勝ちが欲しい」

 2軍での調整登板を経て、久しぶりに神宮の練習に合流したのは8月21日からの対阪神3連戦(神宮)。翌週に控えた復帰登板を前に、心境を語った。

「この1カ月、1軍にいられなかったっていう悔しさもありますし、(離脱が)いい機会になるように今後、残りのゲームでしっかりと戦力になれるようにやっていきたいなと思ってます。僕自身もまだ勝っていないですし、今年が始まったっていう感覚があんまりないので(苦笑)。やっぱりのどから手が出るほど勝ちが欲しいので、しっかりと勝利できるように、チームに勝利を持って来れるようにやっていきたいなと思ってます」

 のどから手が出るほど勝ちが欲しい──。その言葉に実感がこもっていた。石川が最後に勝利投手となったのは、昨年9月22日の巨人戦(神宮)。今年は開幕が大幅に遅れ、さらにコンディション不良で戦列を離れたこともあって、白星から1年近くも遠ざかっていることになる。これは石川の長いプロ野球人生の中でも、かつてないことだ。

 とはいえ、これまでにも開幕から2カ月以上、勝ちがつかなかったことはある。最初はプロ6年目の2007年。自身開幕3連敗で2軍降格となり、復帰3戦目となる6月5日の西武戦(グッドウィル)で完投勝ち。これがチーム51試合目でのシーズン初勝利だった。

 この年はその後、再び2軍降格の憂き目に遭い、初めて2ケタ勝利を逃す結果となるのだが、「あの時(2度目の2軍降格で)シュートを覚えていなかったら、僕の野球人生は終わっていたかもしれない」と語るなど、石川にとって大きな転機となる。