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「今日、父が来ているんです!」スワローズ・原樹理と最愛の父との物語

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/08/12

 あれは昨年の沖縄・浦添キャンプでの出来事だった。目の前のブルペンで力投を続けていたのは原樹理だった。前年の2018(平成30)年シーズンには6勝を挙げ、さらなる飛躍を期す勝負の年を迎えていた。

 17年秋季キャンプで彼にインタビューをした。驚いたことに、彼はこの文春野球を読んでいた。そんなこともあって、取材は和やかなムードで行われた。プロに入ってから考えていたこと、悩んでいたこと、取り組んでいることを飾らない言葉で話してくれる姿に好印象を受けた。そんなことを思い返しながら目の前の彼のピッチングを見ていた。

 やがて、投球練習を終えて原が出てくる。その姿を遠目に眺めていたら、たまたま彼と目があった。すると彼はわざわざ立ち止まって、嬉しそうに言った。

「今日、父が来ているんです!」

 この言葉には説明が必要だろう。原にインタビューした際に、ひょんなことから彼の父親の話になった。というのも、当時の小川淳司監督から「原の3分間スピーチは感動的だから、ぜひ取材した方がいいですよ」と聞いていたので、さっそく尋ねてみたのだ。

 この年の秋季キャンプでは、当時の宮本慎也ヘッドコーチが「自分の考えをきちんと整理し、わかりやすく人に伝えることはとても重要だ」と発案。最初に指名された原が語ったのが、自身の父親についてだったのだという。原の言葉を紹介しよう。

「父はすごく高齢で、僕は父が60歳のときに生まれた子どもなんです。僕が大学生になるとき、親元を離れて関東に出てきました。その後は実家に兄弟が誰もいなくなって、“すごく寂しいんじゃないかな?”って思うと同時に、“もっと父親を喜ばすことができたんじゃないかな?”っていうか、“親孝行全然できてない、どうしよう”と思ったんです」

 冒頭からすでにいい話だった。当時すでに80代を迎えていた父への愛情があふれている。僕は一瞬で、彼の話に惹きこまれていた。

父の手術の連絡を受けて……

「父は年も年なのでいつ死ぬかわからないじゃないですか。そう思ったときに、自分の中ですごく後悔もあり、親元を離れて父親のありがたさっていうのも感じていました。親父はお金に厳しくて、昔から自分のことに対してはすべて節約するんです。でも、三人の子どもに対してはいろいろなことをしてあげる父親でした。家にいるときはわからなかったんですけど、離れてみて、親父がいろいろやってくれていたことに、“どうして今まで気づけなかったんだろう?”って思うようになりました。それからは時間が作れるときは、少しでも親父と一緒にいるようにしたんです」

 同席していた編集者も、もちろん僕も、内心で「で、それからどうしたの? 続きは?」と、前のめりになって夢中になっていた。

「プロ1年目はたびたび球場に見に来ていた父は、2年目はほとんど姿を見せず、3年目も全然見に来なくなりました。あるとき、名古屋で完投した日の次が移動休みで、次は大阪で試合だったんです。だから、僕は先に大阪入りして実家に帰って、みんなでご飯を食べようと思って母親に連絡しました。ところが、“お父さん、用事があるって”って僕に会わせようとしないんです……」

 数分後、原の携帯に電話がかかってきた。母からだった。

「たぶん、自分の中で気持ちの整理をしたのかわかんないですけど、“実はお父さん今手術してるねん”って言われて。僕も正直、そのときは“ついに来たか”と思って。でも、親父はきっと“僕には言うな”って言うと思っていたんです。たまたま運よく、僕が電話したんでわかったけど、そういうことがあって、全然試合を見に来られなかったんです」

 端正な顔立ちで、淡々と父への愛情を語る。取材現場には静かな空気が流れている。

プロ初完封を父の目の前で成し遂げる

「手術が終わって、次の次の日ぐらいに電話ができるようになったので、“体調どうですか?”って電話しました。で、兄からも連絡がきて、“まぁ、親父の気持ちも汲んでやってくれ。お前に最大限、気を遣ってそういうことをしてるわけだから”って。そして、“今度は、次いつ試合を見に来てくれるのかな?”って思っていたら、8月のジャイアンツ戦の前に連絡が来て、“やっと見に行くよ”って言われたんです」

 彼の言う「8月のジャイアンツ戦」とは、18年8月16日、原のプロ初完封の試合のことだった。彼は父の前でプロ初完封を成し遂げていたのだ。

「この日の試合前に練習場から神宮に向かって歩いているときに、たまたま親父を見つけたんです。それで、一緒にクラブハウスまで歩きました。うちの親父は年はいってたんですけど、すごく足腰が丈夫でした。80歳を過ぎても、一人でどんどん歩いていったり、出かけたりしていたんです。でも、このときは、少し足をひきずりながら歩いていました。その瞬間、何とも言えない気持ちになりました。何て言葉に表したらいいのかわからないですけど、それなりに覚悟はずっとしていたんですけど……」

 この日は、プロに入ってから初めて家族全員が一斉にそろって観戦した日となった。だからこそ、原は「親父があの試合にいい影響をもたらしてくれたのかな?」と感じているという。そして、スピーチはこんな言葉で結ばれる。あるコーチの目には、すでに涙が浮かんでいたという。

「僕たちもいろいろ支えられたり、その人のことを思って頑張れたりすることがあるので、そういうことを胸に頑張っていきましょう」

 引用が長くなったが、こうしたエピソードを聞いていたから、沖縄・浦添で会ったときに「今日、父が来ているんです!」と、彼は嬉しそうに語ったのだ。