【第2事件】「お母さんがいなく、布団にいっぱい血がついていました」
「さる18日、遠州北浜村に凄惨なる殺傷事件突発し、いまだ犯人就縛を見ぬ折柄、またもや隣村・小野口村に3人刺殺事件が突発した。
20日午前2時半ごろ、浜名郡小野口村小松、料理店『菊水』こと山口鶴枝さん(44)方の子ども浩君(11)が小松駐在所へ駆けつけて来、ガラス戸をたたいて『お母ちゃんが怖い男の人に奥の方へ押されて行った。早く行ってください。お母ちゃんは火事だ火事だと言いながら、押されて行きました』との訴え出があったので、安藤巡査がおっとり刀で駆けつけてみると、その時既に女将の鶴枝さんは勝手の土間で胸部を鋭利な刃物で刺されて即死を遂げており、女中大庭いたよさん(16)は座敷でこれまた胸部を刺されて即死しており、その付近に18日から用心棒に雇い入れた浜名郡積志村西ケ崎生まれ、木村良太郎さん(66)が同様、胸部を刺されて惨死を遂げていたので、安藤巡査も意外の大事件に驚いて時を移さず浜松本署に急報した……」(8月21日付静岡民友夕刊)
同紙は別項で生き残った浩の談話を「母は凶刃を覺(覚)悟」の見出しで載せている。「僕が目を覚ました時は、お母さんがいなく、布団にいっぱい血がついていました。まさか殺されているとは知りませんでした」「お母さんは常に私に、悪いやつが夜侵入するかもしれぬから、すぐ交番へ届けろと言われていました」。記事は「こんな凶行をするような狂暴な者の侵入を予知していたものらしく、木村という日露(戦)役の勇士を用心棒に雇い入れたほどであったのだ」と書いている。管内と隣接署に非常手配が実施され、県警察部刑事課からも警部らが急派された。愛知県から名古屋医大(現名古屋大医学部)小宮博士が県刑事課鑑識係員3人と来援し、現場鑑識資料の収集に尽力した。「中1日おいての事件発生で地元民の恐怖はひとかたならず、小野口、北浜、積志の各村では警防団、隣組を動員してものものしい警戒に努めた」と静岡県警察史は記す。
同書によると、第1、第2事件の共通点は次のようなものだった。
1.侵入口がいずれも便所の高窓を外している
2.屋内を物色した形跡がない
3.創傷からみて凶器が同一であり、凶行が同様手段と認められる
4.いずれも点灯下でありながら、覆面の形跡が認められない
5.犯人は大男でなく老年ではない
6.被害者はいずれも花柳界の者である
7.被害者の悲鳴を聞いた者はあるが、犯人の言語と思われるものを聞いた者がない
3年前の同じ夏に「花街」を狙った“武蔵屋事件”が起こっていた
実は同じ浜松署管内では花柳界が狙われた事件がその3年前の夏にも起きていた(一部固有名詞を削除している)。「暴行を加へ(え)た上に 出刃包丁で滅多切り 濱松在積志の藝妓屋へ凶漢」。1938年8月23日付(22日発行)静岡民友新聞夕刊はこんな見出しで報じている。