鎌倉時代を代表する仏師として知られる運慶と快慶。今年4月~6月に奈良国立博物館で特別展「快慶~日本人を魅了した仏のかたち~」が開催されたのに続き、今月26日からは、東京国立博物館で特別展「運慶」が始まる(会期は11月26日まで)。現存する運慶の作品は31体と見られるが、今回はそのうちの22体が集められ、史上最大の運慶展となるという。

 今回の展覧会には出展されないものの、運慶と快慶の作品としてもっとも有名なのは、奈良・東大寺南大門の金剛力士像(仁王像)だろう。その造立が始まったのは建仁3年7月24日、西暦(グレゴリオ暦)でいえば814年前のきょう、1203年9月8日にあたる。

阿形(左)と吽形(右) ©文藝春秋

 東大寺は治承4(1180)年、治承の乱による兵火で、建物の多くが焼失した。だが、その翌年、僧侶・重源(ちょうげん)が朝廷より造東大寺大勧進(ぞうとうだいじだいかんじん)に任じられ、諸国を勧進(寄付を募ること)しながら再興が進められる。運慶と快慶も、東大寺や同じく戦火で焼けた興福寺の再興造仏事業に参画し、多くの仏像を手がけた。彼らを大仏師(多数の小仏師を指揮して大規模な仏像を製作する責任者)として、阿形(あぎょう)・吽形(うんぎょう)の左右一対の金剛力士像がつくられ、東大寺の南大門に安置されたのは、同門が正治元(1199)年に再建して4年後のこと。双方の像はともに8メートルを超える巨像にもかかわらず、70日間ほどで造立され、建仁3年10月3日に開眼供養が行なわれている。

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 東大寺南大門の金剛力士像は、正面から向かって左側に阿形像、右側に吽形像が置かれている。じつはこの配置は、日本の多くの仁王像とは逆である。像の姿も、国内のほかの仁王像に見られる基本形とかなり異なる。これについて近年の研究では、中国の北宋時代に描かれた金剛力士図像の強い影響によるものと考えられている(根立研介『運慶―天下復タ彫刻ナシ―』ミネルヴァ書房)。

 なお、南大門の金剛力士像は、1988(昭和63)年度から5年にわたり解体修理が行なわれた。それまで、この像の大仏師は4人いることがわかっていたが、運慶と快慶のほかが誰なのかは見解が分かれていた。それがこの解体修理で発見された銘記などから、残る2人は定覚(じょうかく)と湛慶(たんけい)であることが判明する。ただし、4人が役割をどう分担していたかについては、いまもはっきりしていない。

東大寺南大門 ©getty