キュビズム、抽象表現、ポップアート……。様式や流派、思想をめまぐるしく移り変わらせていったのが20世紀のアートの世界。それゆえ常に話題性があったし、潮流が動くたびにスターもたくさん現れ出た。
世紀が変わりしばらく経って、ほとぼりが冷めてきたいま、20世紀を通して最重要のアーティストを選ぶとしたらどうなるか。ピカソやマティス、現代アートへの道を切り拓いたマルセル・デュシャン、ポップアートを広めたアンディ・ウォーホルらの名が挙がるだろうけれど、誰を措いても絶対に入れたい人物がひとり。画家・彫刻家のアルベルト・ジャコメッティである。
没後半世紀に至って、日本で彼の大回顧展が開催されることとなった。国立新美術館の広大なスペースを使って、彫刻分野に関してはかなり充実した内容を展開している「ジャコメッティ展」だ。
見知った弟の顔すら大きく歪む
ジャコメッティの彫刻は、他に似たもののない独自の形態をしているから、見覚えのある人も多いはず。針金のように細長く引き伸ばされた人物像、ヒラメよりも薄っぺらな頭部像、ときにはマッチ箱に入ってしまいそうなほど小さい彫像と、どれもひと目見たら忘れられないインパクトがある。
何も人を驚かせるために珍奇なかたちをとっているわけじゃない。ジャコメッティ本人は至極まじめに形態に関する探究を続け、その結果としてこうした彫像が生まれた。
たとえば、彼が生涯にわたって最も長く、深く向き合った対象にディエゴの姿がある。モデルのディエゴとは、彼の1歳違いの弟。その姿をかたどった無数の彫像が残されているけれど、どれも表面は激しい凸凹が目立ち、頭部は鋭くとがり、顔面は両側から挟まれたように平たくなっている。力強い造形、けれど同時にはかなさも感じさせる不思議な彫刻なのは、今展に並ぶいくつもの《ディエゴの胸像》で実地によく確認できるはず。
よく知っているはずの弟の姿が、なぜこんなに歪んだものとなるのか。絵画にしろ彫刻にしろ、徹底的に見ることを繰り返し、同じモチーフを追求するのがジャコメッティの方法だった。見慣れた弟の顔を、なんとか自分が見たままに表現できないだろうか。人の顔とはこういうものだろうとの勝手な思い込みや先入観をまったく排して、純粋に見た感触をそのままかたちにせんと、彼は模索を続けた。するといつしか、私たちが日常で触れる人間の姿とは大きく隔たった造形が現れるようになったのだった。