1ページ目から読む
3/3ページ目

「メンタル」か「技術」か…「自分がこんなに悩む人間だとは」

――イップスはよく「メンタル」か「技術」かと議論されますが、どちらだったと思いますか。

島袋 もともと気持ちの乱れとかはない方なので、フォームだと思います。根本的に投げ方がおかしくなった上に、考え過ぎたことで、がたがたになってしまった。自分でも、自分がこんなに悩む人間だとは知らなかったですね。

――そこからフォームもコンパクトにしていったわけですか。

ADVERTISEMENT

島袋 いえ、大学にはいってすぐフォームは変えました。1年春、最初のカードが駒沢(大学)だったんですけど、2試合で8個か9個くらい盗塁を決められたんです。それからクイック(投法)を速くしないといけないと思って。あとは、セカンドランナーにボールの握りを盗まれてると言われて、セット(ポジション)のとき、グラブの位置も下げました。高校のときも走られていましたけど、あのころは、ランナーを進めても還さなければいいんだろうぐらいに思っていた。大学では気にし過ぎて、考えもちっちゃくなってしまったような気がします。

©文藝春秋

――その改良がコントロールが悪くなったことに影響しているのですか。

島袋 少しずつフォームが壊れてきている部分があって、体も変わってきていて、暴投という1つのきっかけでバーンってなっちゃったのかもしれませんね。すっぽ抜けるようになってからは、足を上げて投げようという発想もなくなりました。間が嫌なんですよ。いろいろ考えて、体重を移動している間に変な風になっちゃう気がして。プロに入ってからは、ほとんどクイックで投げていました。勢いで、ポーン、ポーンって投げたい。でも、そうなるとバッターもタイミングを合わせやすくなってしまうんです。

――球速はプロに入ってからもそれなりに出ていましたよね。

島袋 スピードはプロに入ってからがいちばん速かったですね。高校のときはマックス(最高球速)147キロでしたけど、プロに入ってからは150キロまで出るようになりましたから。平均球速もぜんぜん上がっていると思います。

©文藝春秋

――ただ、いわゆる「キレ」が違うのですか。

島袋 高校時代は球の回転数はもっとよかった感覚があります。よくピッチャー同士で、肩の高さでどれくらいまで遠くに投げられるかを争いながらキャッチボールしていたんです。そのころ、50メートルぐらいは簡単に低い軌道で投げられました。でも今は50メートルぐらいは投げられますけど、それ以上になると厳しい。指でボールを弾くというか、弾けてる感じも違いますね。

◆ ◆ ◆

 そもそも高校時代、あれだけの実績を残したにもかかわらず、島袋が大学進学を選んだのはなぜだったのか。インタビューの続きは、「文藝春秋digital」で公開中です。

イップスの正体|#2 浅田斉吾(プロダーツ選手)