北里研究所主催のパーティーに出席し……
原の「3密」会合への出席は、これだけに留まらない。
〈交詢社の会合の前々日(21日)は工業倶楽部の晩餐会に出席し、翌日(24日)は《国産奨励会》に出席しています。ちなみに《国産奨励会》とは、国産のハムやワインなどを賞味し、広げようという会合です。原は《大概の品は西洋料理に差し支えなきも、洋酒は到底問題にならぬほどの品質なり》と、国産の洋酒を酷評していますが、問題は、「3密状態」で飲食をしていることです〉
〈さらに閣議を終えた25日夜は、社団法人となった北里研究所の祝宴に出席しています。感染症の世界的権威、北里柴三郎が設立した日本一の感染症研究所でした。原は、皮肉にも、その北里研究所主催のパーティーに出席した翌日、病に倒れるのです〉
〈二十六日 (略)昨夜北里研究所社団法人となれる祝宴に招かれ、その席にて風邪にかかり、夜に入り熱度三十八度五分に上がる〉
〈二十九日 午前腰越より帰京、風邪は近来各地に伝播せし流行感冒(俗に西班牙風【スペインかぜ】という)なりしが、二日間ばかりにて下熱し、昨夜は全く平熱となりたれば、今朝帰京せしなり〉
「政党政治家」としての原の宿命
磯田氏は、当時の首相である原が置かれていた状況を踏まえ、こう解説する。
〈感染場所として、原自身は、北里研究所の晩餐会を疑っているふしがありますが、潜伏期間を考慮すれば、21日の工業倶楽部、23日の交詢社、24日の国産奨励会と、全て可能性があり、どこで感染しても、おかしくない状況でした〉
〈しかし、これは、「政党政治家」としての原の宿命でもありました。財界や産業界、医学界などの有力者たちと交流を絶やさないことは、「選挙対策」として、立憲政友会総裁の最重要の仕事だったからです〉
こうしてスペイン風邪に感染した原は、「天皇臨席の重要会議に出席できない」という事態に陥り、首相としての業務に支障をきたすことになる……。
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こうした原首相の感染と天皇との関係や皇族のスペイン風邪罹患の詳細まで論じた「感染症の日本史(6) 皇室とパンデミック」の全文は、「文藝春秋」2020年10月号および「文藝春秋 電子版」に掲載されている。
また、本連載を元に大幅に加筆を施した『感染症の日本史』が文春新書から刊行されている。
皇室とパンデミック